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「正解を教えてよ」とプロデューサーに冗談で言ってみたら…北野大(79)が振り返る『クイズダービー』、他の番組との“決定的違い”

「正解を教えてよ」とプロデューサーに冗談で言ってみたら…北野大(79)が振り返る『クイズダービー』、他の番組との“決定的違い”

北野大さんインタビュー#2

2022/02/05
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司会交代の裏にあった事情

ーーこれは意外と知られていないと思うのですが、90年4月から司会が巨泉さんから徳光和夫さんに代わっているんですよね。

北野 あれは、巨泉さんの人生哲学ゆえに生じた司会変更なんですね。巨泉さんは、必ず7月と8月に休暇を取ることにしていたんですけど、番組としては不在にはできないので、6月あたりに9月、10月に放送する回を撮ってしまう。だから、6月に秋の身なりをしてスタジオに来て、「もう、秋風が吹いてまいりましたね」なんて言ってました(笑)。

 

 でも結局、こういう形でやり続けるのは無理があるということで、巨泉さんは司会を降板されたんですよ。

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『クイズダービー』という超人気番組の司会を努めて、周りからは「巨泉さん、巨泉さん」と敬われて、悪くないですよね。それをスッパリと辞めちゃう。昭和9年生まれ。あの世代で、ああやって仕事と休暇をきっぱりと分けられる人は珍しかった。

有給を取り、月曜午後に収録

ーー収録のスケジュールはどういった感じでしたか?

北野 TBS会館で月曜の午後に2本録るんですけど、オンエアの時間と収録の時間がほとんど一緒なんです。1回につき、だいたい25、6分で撮りが終わって、長くても30分。編集がまったくいらない感じでしたね。

 収録が月曜の午後で、私は財団の勤め人だったものですから、有給を取って収録に行っていました。これは自負になっちゃうかもしれませんけど、私は「北野はテレビに出ていて研究をしていない」とか「仕事をしてない」だけは絶対に言われたくないと思っていたんですよ。そこだけは、もう意地になって。論文も、百以上は書いてきました。

 そこは逆にテレビに出たことで頑張りました。「テレビに出てチャラチャラして」という目では見られたくなかったので、人並み以上にストイックになったんですよね。