右足にも少し障害が出たので、病院内をひたすら歩きましたが、なにせ物が二重に見えるので、最初はかなり怖かったです。
言語聴覚士が担当する言語のリハビリも始まりましたが、日常会話がなんとかできるようになるためには年単位の時間が必要だと言われました。
言葉の出ない母親に中1長男は
集中治療室から一般病棟に移った私がまず入ったのは、ナースステーションの中にあるベッドでした。まだ目が離せない、という判断なのでしょう。夜になると、ナースコールが鳴りっぱなしで全然眠れません。
翌日、ナースステーションの目の前にある4人部屋に移ると、旦那が小学校2年生の娘と中学校1年生の息子を連れて、お見舞いにきてくれました。旦那の日記には次のように書かれています。
《12月19日 ふたりの子供を連れて大学病院へ。母親に会うのは2週間ぶり。言葉の出ない母親を見て、お兄ちゃんは涙を浮かべていた。それでも、ちなみがふたりの子供をしっかりと認識できているのがわかった》
たった2週間! 私はもっとずっと長く会えなかったような気がしました。子供たちは以前と少しも変わらず、本当に可愛い。私はちょっと安心しました。
旦那は「あなたが入院している時の子供たちは本当にえらかった。愚痴を言うこともなく、寂しがってメソメソすることもなくて本当に助かった」と言います。
旦那は何事にも一生懸命になる人なので、私が手術後3日間、脳を休めるために麻酔で眠らされていたときは、ハラハラドキドキ、心配の連続だったに違いありません。子供たちは余裕のない旦那を見て、「いま、何を言ってもしょうがない」と思ったはず。子供たちも心の中で「頑張れお父さん」と応援していたのでしょう。