「密偵」に目を付けられたら殺される
住民があえて話そうとしない、村で起きた虐殺について聞きたい。私たちは、カンボジア全土を探しまくった。そして、ようやく見つけたのが、トラムカック郡から直線距離にして500キロ以上離れたある岩山の霊場で、祈りの生活を送っている男性だった。彼は、ポル・ポト時代、トラムカック郡のある集落で、「密偵」(カンボジア語で「チュロープ」と呼ばれた組織)の長をしていた。密偵とは、人々を監視するための組織である。ポル・ポト時代には、トラムカック郡だけでなく、カンボジア全土に密偵の網の目が張り巡らされた。各集落単位にそれぞれ密偵の長が任命され、密偵長は部下を使って住民の生活を監視した。彼が故郷からはるか離れた場所で暮らしているのは、ポル・ポト政権崩壊後、報復を恐れて村を逃げ出したためだ。もう故郷に帰るつもりはないという彼は、匿名を条件にその重い口を開いた。
最初の監視対象は、新人民だった。
「新人民に対しては時間を置いた。時間を置いて、泳がしておくようなもの。新人民はみんな殺されるはずだったが、しばらくは様子を見ていた。いつ殺すかは決めないで、旧人民に預けたりした」
軍の経歴を持つ新人民は、即座に殺害された。
「軍人あがりの新人民は、それを知られたら生きてはいられなかった。プノンペンからやってきて10日後には、みんな殺された」
しかし、この元密偵長は、自分の役目は監視するだけで、自ら直接人を殺めたことはないという。
「私は、密偵長だったが殺人係ではなかった。それはまた別だ。
村人がああしたこうしたと伝えただけ。彼ら(殺人係)が夜に殺したとか、いつどうしたということは知らない。でも私も彼らについていって、彼らが殺しているのを見たことがある。遺体が山積みになっていたよ。山すそに」
この元密偵長によれば、集落の密偵長は集落の上の行政単位である「村」へ報告するだけで、殺害するかどうかを決定したのは、村長、もしくは村の密偵長だったという。とはいえ、密偵によって密告されたものは、すでに死んだも同然だった。