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子どもが最高の知識人

 密偵長は12人の子どもを使い、家の中の会話まで盗み聴きさせた。子どもを使った理由について彼はこう説明する。

「子どもは何も知らないから直ちに実行する。子どもたちは何かつかんだらすぐに捕まえた。14、15歳くらいだ。何が罪で何が徳かも知らないし、年寄りが何かもわからない。たばこも吸っていた。残虐だったよ」

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 元密偵長は、続ける。

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「当時、何も知らない子どもの密偵たちのことを最高知識人と呼んだ。子どもには、教師や僧侶は敵だと言い聞かせた。僧侶は強制的に還俗させられたが、当初、彼らは還俗を拒否した。このため、子どもたちは、敵だ、国内に侵入しているCIAだと言っては、僧侶を殺していった。誰も残らなかった」

 ポル・ポト政権による凄まじい文化破壊の一端をここに見ることができる。上座仏教の信仰では、現世で徳をどれだけ積むかによって来世での身分が決まる。僧侶に寄進することが徳を積む最も重要な行為であり、これは多くのカンボジア人の世界観である。このため、カンボジアの人々は無理をしてでも僧侶の衣食住の面倒を見る。また、寺院はカンボジアの村社会の統合の中心でもあった。人々が集い、僧侶の世話をしながら雑談をする場であり、催し物があれば寺院の境内を使う。

 ここで、ポル・ポト政権が子どもを好んで使った理由が見えてくる。仏教の信仰が深く根を下ろしているカンボジアでは、ある程度の年齢以上の人々にとって、仏教寺院を破壊することなどとても容認することができない暴挙だ。ポル・ポトの政策を何の疑問も持たずに実行できたのは子どもたちだけだったのだ。

 ここで、ちょっと横道に逸れるようだが、ポル・ポトと山岳民族との関係を思い出さざるをえない。内戦中、党本部がベトナムとの国境に近い北東部のジャングルの奥地にあった時代、ポル・ポトは、ここに住む山岳少数民族と出会い、生涯彼らを信頼した。ポル・ポトの身辺警護の役目は、彼が死ぬまで山岳民族の若者たちが担った。その理由について、「ポル・ポトは、山岳少数民族の原始共産制的な生活に理想の社会を見た」と見る向きもあるが、イエン・サリは、「ポル・ポトが北東部の人たちを好んだのは、彼らがポル・ポトの言うことをよく聞いたためだ」と話している。

 おそらくポル・ポトは、山岳少数民族に「理想の社会」を見たのではなく、むしろ、彼らが「言うことを聞く」無垢な存在であることに重要性を見いだしたのだろう。少数民族たちは、彼が説く共産主義の理想を無条件に受け入れ、まるで布教にやってきた宣教師に対するように彼を尊敬したに違いない。

 さらに言えば、ポル・ポトにとって、「無垢であること」とは、山岳少数民族のように「彼の言うことをよく聞くこと」と同義であり、逆に彼に異を唱える者は、すなわち「資本主義に汚された反革命分子」として、排除されるべき対象となった。

 ポル・ポトにとって、子どもは山岳少数民族のように「無垢」な存在、すなわち「自分の言うことをよく聞く」存在だったのである。