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伝説の名勝負は“屈辱”とともに終わった

 出鼻をくじかれた日本は渾身の力を振り絞ったものの終盤に力尽き、メキシコ五輪に続いてまたもやソ連に金メダルを献上した。

 ミュンヘン五輪に出場した選手たちにとっても、銀メダルは屈辱でしかなかった。彼女たちの心に刻まれた深い禍根を知るのは、それから40年後の2012年、ロンドン五輪直前だった。

当時、女子バレーにとって銀メダルは“屈辱”だった ©共同通信

 2時間35分にわたって繰り広げられた、この日本対ソ連の決勝戦はバレー界の「伝説の名勝負」として語り継がれている。NHKがロンドン五輪前にドキュメンタリーとして放映することになり、私が当時の選手をインタビューすることになった。

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 ところが彼女たちは一様に口が重く、試合を振り返りたがらなかった。やっと言葉を発したと思った途端、嗚咽を漏らし始めたのである。あれから40年も経っているのに。

 酸いも甘いも嚙み分けた60代後半を迎え、多少のことでは動じないはずの彼女たちが、唇を震わせ涙を浮かべている。時は、彼女たちの傷を癒すことは出来なかった。そんな苦渋の様子から、当時、金メダル以外は価値がないものといかに固く信じ込んでいたかが想像できた。

 やっとの思いで言葉を綴った後、キャプテンの松村は吹っ切れたように言った。

「多分、誰もミュンヘンのことは進んで語ろうとしなかったと思います。私たちは、東京五輪のメンバーのようにプライベートでも顔を合わせることはなかった。顔を合わせてしまうとどうしてもミュンヘンを思い出してしまうので、あえて避けていたんです。でももう、自分たちを許していいですよね。これを機会にミュンヘンの会を作ろうかな」

 そう語る松村の顔は苦しい修行を積んだ僧侶にも似て、神々しくさえ見えた。