小日向に贖罪を促した「愛する息子の死」
手記では事件後に逃亡したフィリピンなどでの生活や、逮捕後どのように自白していったかなどについても記されている。逮捕されるまでの日々は、たまに家族と会うことだけが楽しみで、自首したい気持ちと、それに伴う家族への報復を天秤にかけながら生活していた。手記終盤には以下のようなくだりがある。
《「親の因果が子に報いる」と言うのでしょうか。私の愛する息子が、まだ17歳の若さでガンで亡くなりました。私は泣きました。そして息子の命を奪い取ったガンを恨みました。しかしいくら恨んでも息子は帰って来ません。こう言ってはおこがましいですが、私は初めて被害者のご遺族の方々の気持ちがわかった気がしました。ご遺族の皆様も、ある日突然家族を失って、さぞ無念だったろうと思いました。自分の愛する息子を失って、その悔しさを身をもって初めて知りました。ご遺族の皆様、本当に申し訳ありませんでした。私がいくらお詫びしたところで、事件に巻き込まれ亡くなられたご家族が帰ってくるわけではありませんが、私がお詫びしなければなりません。私が起こしてしまった事件なのですから……》
現在、死刑執行を待つ身である小日向はクリスチャンとなり、反省の日々を過ごしているという。手記には遺族への贖罪の言葉が何度も繰り返されている。しかしどれだけ反省しても、奪った命が戻ることはない。
手記はこう締めくくられていた。
《自分の親分に、「カラスは白い」と言われればみんな白になります。それがヤクザの世界ですが、交差点の信号が赤なのに、「信号は青だ」と言われたらどうでしょうか? 横断歩道には歩行者がいます。自転車も走っています。乳母車もいます。小さな子供だって手を挙げて歩道を渡っています。あなたは交差点に走って行けますか? そんなことをするのは頭のおかしいものです。
まさに今回のスナック乱射事件は、信号は明らかに「赤」なのに「青だ、行け」と言ったのが、矢野会長なのです。後から、「みんなやれとか言わなきゃよかったな」だとか、「ボディーガードだけにしとけばよかったな」などと言っても遅いのです。
「カラスは黒です」「信号は赤です」とはっきり間違ったことならば、指を詰めてでもそれを正す勇気を持つべきだと思います。それで破門ならそれで良いではないですか、そこまでの親分だったと言うだけのことです。
今回のスナックの事件なども私にその勇気があれば、もしかしたら防げたのかもしれません。その代わり違う者が事件を起こしていたでしょうが……。そしておそらく第1章(手記は章立てになっている)に書いた組長(日医大事件の石塚隆組長)のように殺されていたでしょう。
もう、このような痛ましい事件が起こらないよう、警鐘を鳴らすとともに、神様に祈らずにいられません》
小日向死刑囚は、判決確定後12年超が経過しているが、死刑は執行されずいまだ東京拘置所に収監されている。(#5に続く)
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