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“ネット番長はヤクザとして恥ずかしい”…それでも暴力団組員が「SNS」を駆使した“情報攪乱”を続けるワケ

『日本のタブー3.0』より #1

2022/03/03
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 2020年7月末、若頭を襲撃された池田組は神戸山口組から脱退した。池田組はその後、山健組(編集部注:2015年の山口組分裂以降、神戸山口組の中心組織として活動していた暴力団)から再分裂した絆會(旧・任侠山口組)の織田絆誠会長らと合流している。織田会長にも負債がある。2017年9月、山健組に襲撃された際、弾除けになって死んだ組員の報復が終わっていない。

 神戸山口組の振動はそれだけで終わらず、同年8月には旗揚げ時の中心メンバーだった正木組・正木年男組長、二代目黒誠会・剣政和会長らが引退した。翌年の春には、顧問だった奥浦組・奥浦清司組長が引退するなどした。

 しかし、神戸山口組の自壊はそれだけではなかった。

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神戸山口組の「中枢」山健組が山口組に電撃復帰

 この時、かつて神戸山口組・井上邦雄組長が四代目を継承、神戸山口組の主力部隊だった山健組までが壊れた。有力組長の離脱が続いた2020年夏、山健組トップの中田浩司組長が神戸山口組から飛び出てしまった。山健組は一部を除き、幹部・組員らも中田組長に付き従った。山健組は独立団体を標榜して分裂した。

 後述するが山健組は六代目山口組弘道会組員に2人の幹部を殺されている。報復は実行されておらず、そのため当初は「敵は名古屋」と公言していた。しかし、その山健組は2021年6月16日、獄中の中田浩司組長を筆頭に六代目山口組に復帰してしまった。六代目山口組においても山健組の名跡はそのまま存続し、中田組長は「幹部」という役職名の大幹部ポストに就任した。神戸山口組のトップであり、山健組の先代だった井上邦雄組長の旗本がごっそり抜けて敵方に加入し、かつての親分と反目したのだ。

 電撃復帰はかねて暴力団員間のSNSで話題となっており、怪文書を含めた情報が錯綜していた。正式決定が出るとあちこちの直参組織幹部から「通達が来た!」とうわずった声で電話がかかってきた。当事者さえ興奮するような、通常はあり得ない“珍事”なのだ。