昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「全国至るところで発達した私娼街の女性たちはもっと悲惨だった」李栄薫が指摘する、日本軍慰安婦問題の底にある“ぎこちない不均衡”

『反日種族主義 日韓危機の根源』より#2

2022/03/08

source : 文春文庫

genre : ニュース, 国際, 歴史, 読書

 2019年の刊行以来、日韓で一冊の本が大きな話題を呼んでいる。元ソウル大教授、現・李承晩学堂校長の李栄薫(イ・ヨンフン)氏が中心となり、慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題などを実証的な歴史研究に基づいて論証、韓国にはびこる「嘘の歴史」を指摘した『反日種族主義 日韓危機の根源』(文藝春秋)である。

 ここでは同書より一部抜粋して、慰安婦問題の歴史について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

著者の李栄薫(イ・ヨンフン)氏 ©️文藝春秋

◆◆◆

「生活苦」からの民間慰安婦

 韓国軍慰安婦は、1950年代に実在した慰安婦全体の中の、非常に小さい部分に過ぎませんでした。全国のほぼ全ての都市で私娼街が形成されており、約4万人の女性がそこで性売買を専業とする慰安婦として生活していました。

 1960年代に入ると、何人もの保健学研究者たちが、彼女たちの履歴、勤続期間、労働実態、所得水準などを調査しました。1961年のソウル市婦女保健所に収容された600人の慰安婦、1963年のソウル市城東(ソンドン)区保健所に登録された144人の慰安婦、1964年の群山市保健 所に登録された188人の慰安婦が調査対象でした。

 彼女たちの履歴から、ソウルでは 女中出身が最も多く、群山では孤児出身が最も多かったことが分かります。戦争によって家庭が破壊され、極貧階層の子供として父母の保護を受けられず孤児院を転々としたり、家庭の不和で家出をしたり捨てられたりした女性が、女中生活、あるいは他の職種 の接客業に従事したあと慰安婦になるのが、最も一般的な経路でした。その具体的な動機を見ると、「生活苦」が最も多く、「友人からの誘い」も多かったことが分かります。

「男から誘惑された」や「売られた」というケースも少なくなく、これらは人身売買です。 

借金で債務奴隷の状態

 慰安婦になったあと、どれほどの期間にわたり性売買に従事したかは、地域によって異なります。ソウル市の婦女保健所に収容された女性たちは平均1.1年、城東区の保健所に登録された女性たちは平均6カ月、群山市の保健所に登録された女性たちは平均2.5年です。特定の抱え主に縛られず、個別に、または何人かが同業の形態で従事した場合は、その期間は長くありません。ソウル市城東区のケースがそうだったと思います。

 一方、有名な集娼村(多数の売春施設が集まっている地域を指す)があった群山では、半分以上の女性たちが2年以上で、4年以上も22人いました。群山では、相当数の慰安婦が抱え主に作った借金のため、債務奴隷の状態でした。