浜崎 変異株の特性なんてそっちのけで、「自粛とワクチンでコロナの大波を乗り切る」という物語で政治家も、専門家も、そして国民も動いています。行動制限ではなく、手洗いうがいの予防で、生きること、生活することの喜びを取り戻そうと言う人は、ほぼ皆無でしたね。
與那覇 「生きる喜び」とは常に、なんらかのリスクと表裏一体でしょう。ステイホームで見知らぬお店にデリバリーを頼むのだって、一定のリスクを引き受けて試すわけです。その自覚が失われていますね。
浜崎 誰も真剣じゃないんですよ。「自粛こそ正義」という安易な枠組みのなかで、誰も傷つかないように、互いに馴れ合っているだけです。
日本人の病とは“過剰適応”である
與那覇 私がずっと批判しているのは、2020年夏の第2波から盛んになった「感染したら重い後遺症が残る」とするキャンペーンです。第1波の経験から、若年層が重症化しにくい事実は周知になっていた。そこで「いや、若いやつらもやはり自粛すべきなんだ!」という物語を維持するために、十分な論証のないままで、後出しの根拠を持ち出したようにしか見えないんですよ。
浜崎 これも枠組みが変えられない病ですよね。そこに無理が生じてそれを糊塗するためにキャンペーンをはる。だから日本の危機対応は、いつも建て増しの違法建築のようなものになってしまうんです。
與那覇 ひたすら耐えて「ワクチンの完全普及を待つ」心性も、大戦末期の神風頼みと同じ。そして海外からはむしろ複数回接種・未成年の接種への懸念が聞こえてきたいまも、なおワクチンに固執する。正直コロナより、この国民性が怖いですよ。
浜崎 「枠組み」への固執で言うと、よく私はルース・ベネディクトの『菊と刀』を思い出すんです。
與那覇 戦時中の「敵国分析」から生まれた、米国の文化人類学者による日本研究の古典ですね。
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與那覇潤さんと浜崎洋介さんの対談「オミクロンが突きつけるもの」全文は、文藝春秋「2022年3月号」と「文藝春秋 電子版」にてお読みいただけます。
オミクロンが突きつけるもの