Aさんは、家庭の事情を上司に相談したところ、上司が親身になって取り計らってくれ、しばらくして愛知県内の病院で働くことができるようになったという。
「昨年の春、最愛の子どもの1歳の誕生日は私達夫婦にとっては格別な一日になるはずでした。しかし、結果を言ってしまえば、ブラックジョークに聞こえるかも知れませんが、別の意味で“記念すべき日”となってしまいました……」
裁判所に突き付けられた絶望感、無力感、理不尽さ
Cちゃんが愛知県に避難した数週間後、B子さんは、監護者指定・子の引き渡しを名古屋家庭裁判所に申し立てた。Aさんは、B子さんによるCちゃんに対する心理的虐待やB子さんの問題点について、強く主張・陳述したという。Aさんには、B子さんによる虐待を決定づける証拠はなかったものの、警察署や児童相談所が情報開示した文書を提出したという。
そして家庭裁判所調査官による調査が行われ、双方の面談や家庭訪問が実施された。Aさんは調査官に対して誠実に対応し、B子さんによる虐待について説明したという。
だが、調査官のまとめた調査報告書には、B子さんのCちゃんへの心理的虐待が考慮されず、無視され、別居前の主たる監護者は妻だったからCちゃんは妻のもとへ戻すべきだという短絡的な結論が記されていた。「表面上だけの調査に基づく、事実誤認の多い書面だった」(Aさん)という。
「調査官は、面談や家庭訪問はしましたが、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。テンプレートに当てはめただけに感じます。子どもの監護で最も大事な項目になるはずの心理的虐待について、何一つ調査もしていないにもかかわらず、ただの夫婦喧嘩だ、夫婦喧嘩の中で妻が吐いた暴言は夫婦両方の責任だ、という理解不能で理不尽な断じ方をされました。
しかも、私と妻の監護体制を評価する言葉も、妻を贔屓するような表現ばかりで、偏った内容・評価でした。また、私が主張・陳述してきたことの多くを、事実誤認したりはき違えたりしていました。本当に杜撰で偏った内容と言わざるを得ません」
Aさんの話によると、監護者指定・子の引き渡しの審判も、結局、調査報告書をなぞっただけの内容で、妻による子どもに対する心理的虐待について、一切評価することもなく、無視されたという。同居時、B子さんが主にCちゃんを監護してきたから、という理由だけで、Cちゃんを心理的虐待を繰り返してきたB子さんの下へ引き渡せと断じたというのだ。
「裁判所は公平で神聖な場所だと信じていましたが、そうではありませんでした。テンプレートにあてはめただけの、前例主義で母性第一主義の、時代遅れな場所でした。警察署や児童相談所といった行政機関は心理的虐待に対して適切に連携しながらスピーディーに対応してくれたのに、裁判所は逆行するような行動しかとってくれませんでした。私は、絶望感や無力感、理不尽さを感じます」