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彼らの代名詞にもなったスルーパス

 そして時に、ファンタジスタは相手を吸い寄せる「引力」のような存在にもなる。マラドーナやメッシ、イニエスタといった名手のドリブルは相手を一手に引き付ける作用を持つ。例えば90年イタリアW杯、アルゼンチン対ブラジルの試合で見せたマラドーナのプレーはまさにファンタジスタの引力が試合を操った好例であろう。この試合、終始劣勢だったアルゼンチンだがマラドーナのワンプレーで勝利を掴んでいる。

 それは0―0で迎えた後半35分の出来事だった。センターサークル付近でボールを受けたマラドーナはブラジルの中盤2枚をドリブルでかわすと一気にトップスピードに加速し、ブラジル陣内へ突進していく。当時3バックの布陣だったブラジルはマラドーナの突進に対し、CB3枚が引き寄せられるようにマラドーナへ集まっていく。その瞬間、マラドーナからDFの股を抜く絶妙のラストパスが放たれ、これをゴール前でフリーになっていたFWのクラウディオ・カニーヒアが決めて勝負あり。

 後になって冷静に考えればマラドーナ一人に対し、DF3枚が吸い寄せられてしまったブラジル側のミスにも見える。だが、当時マラドーナのドリブルは放置しておくとそのままゴールまで持っていかれかねないという迫力があった。マラドーナのファンタジスタとしての存在感が引力のようにブラジルのDFを引き寄せたのである。現代でもメッシやネイマールといった名手のプレーには、相手の視野を狭め、注意を一点に引き寄せてしまう引力があり、その逆を取るスルーパスは彼らの代名詞にもなっている。

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行き過ぎた戦術主義へのカウンター

 ポジショナルプレーとストーミングは今後ますます世界中に普及していくことだろう。なぜなら、ほとんどのチームにはメッシやマラドーナのような特別なファンタジスタがいないからだ。多くのチームは普通の選手や、そこそこには上手い選手、そしてチームプレーで貢献する労働者によって支えられている。ゆえに彼らにとって普通の選手を上手く見せ、特別なタレントとの能力差を補うオートマティズム化は大変都合の良い戦術と言える。しかし、その進化の行き着く先にファンタジスタの居場所がないのだとしたら、何とも矛盾した話になってしまわないだろうか。

ファンタジスタとして躍動したディエゴ・マラドーナは引退後アルゼンチン代表の監督を務めた ©JMPA

 実は、これとよく似た現象が過去の歴史にもあった。それはアリーゴ・サッキが起こした戦術革命(編集部注:ファンタジスタ封じに「マンツーマン」戦術が一般的だった時代に、アリーゴ・サッキは“一人でダメなら皆で抑え込もう”という「ゾーンプレス」戦術を編み出した)である。90年代中盤~後半にかけてマラドーナというファンタジスタを止めるために編み出した戦術が、ファンタジスタを不要とする流れに行き着いた時代があった。必要なのは“個の閃き”などではなく“組織によるハードワーク”だと半ば妄信的に信じられていたのだ。その戦術主義の思想はやがてファンタジスタ不要論なる論争まで巻き起こし、実際にロベルト・バッジョやゾラといった幾多の名手がピッチ上から追いやられていった。さしずめ反ファンタジスタ教の魔女狩りである。