時代はファンタジスタを組み込んだ組織化の流れへ
しかし、だからと言って以降のサッカーの歴史からファンタジスタが姿を消してしまっただろうか。否、行き過ぎた戦術主義の反動として、時代は再びファンタジスタを求めるようになっていく。90年代後半、ファンタジスタ不在のピッチでは、時間とスペースを極限まで削ったチーム同士の対戦が頻繁に膠着状態に陥っていた。お互いボールを奪ってもその瞬間に、相手からのプレスを受けてボールを失ってしまい、局面を打開出来ないのだ。これを打破するためにはやはりファンタジスタの創造性が必要で、時代はファンタジスタを組み込んだ組織化の流れへとシフトしていくことになる。
温故知新とはよく言ったもので、現代の行き過ぎた戦術主義もこれと似たような揺り戻しが起きる可能性は案外高いのではないかと思っている。判断とプレーをオートマティズム化するポジショナルプレーは、明確な対策を講じられた時に膠着状態に陥る構造をその宿命として内包している。極限まで強度を高めたストーミング同士の対戦は、その推進力が強くなればなるほど、一瞬の閃きで局面を反転させられる個の創造性が違いを生むはずだ。つまりサッカーが戦術的になればなるほど、そのカウンターとして「個の閃き」の価値が相対的に高まっていくはずなのだ。案じずともファンタジスタが死滅することはないだろう。
システムとファンタジスタの共存関係
おそらく今後のサッカーでは、ポジショナルプレーやストーミングといった高度な戦術とファンタジスタの共存が実現していくことになるだろう。一方で、チーム全体のボールの動かし方や運び方、そして奪い方といった要素はポジショナルプレーとストーミング戦術が全体の平均レベルを押し上げるはずだ。世界中どこのチームでも、ある程度の即時奪回とポジショナルな配置からのボール運びは標準搭載されるようになっていくのではないか(実際、すでにそのような兆候は見え始めている)。
同時に、全体の平均値が上がるということは結局、最後に違いを作り出すのは特別な「個」になる。ファンタジスタはストーミングやポジショナルという土台の上に違いを作り出すガジェットとして組み込まれることになるだろう。
このシステムとファンタジスタの共存関係については、ペップもリスペクトする名将フリオ・ベラスコ(バレーボール界の伝説的名将)が次のように語っている。
「システム(戦術)によって選手が重要ではないことに頭を使わなくてよい状況を作り出す。そうすれば重要な時に創造性を発揮するための脳の余力を残しておくことが出来る」
現代サッカーに置き換えるなら、ポジショナルプレーによる判断のオートマティズム化がビルドアップにおける脳のメモリー消費を抑え、ラスト30mにおける創造性の発揮につながる……といったところだろうか。まさにファンタジスタと戦術の理想的な未来像を予見させる言葉だろう。