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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

《悔しさのあまり、表彰台で…》女子バレー・中田久美が述懐するロス五輪「こんなものいらないと思った」

日の丸女子バレー #20

2022/02/19
note

「今の状況も、次の展開も、その先も読める」

 日本は中国が苦手だった。

 70年代半ばまでまだバレー後進国だった中国が、初めて日本を下したのは77年の世界選手権の予選リーグだった。72年の日中国交回復から6年。大松が教えたバレーが花開いた瞬間である。山田はこの大会で、エースの郎平を擁する中国が手ごわい存在になるとはっきりと悟った。

 事実、81年のワールドカップと翌年の世界選手権で中国は二冠を達成。日本はアジア女王の座を中国に献上してしまっていた。以来、高さとパワーがありながらアジア特有の器用さを持つ中国に、日本はカモにされ続けてきたのである。

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 18歳となった中田は、ロス五輪前年のアジア選手権中国戦で不思議な感覚に陥っていた。

ロス五輪、表彰台に上がった中田久美ら日本選手は、銅メダルを首にかけられるとすぐに外した(中田は右から3番目) ©文藝春秋

「バレーというのは、究極的には予測するスポーツなんですけど、その予測がピタッ、ピタッとはまっていく。今の状況も、次の展開も、その先も読める。まるで、自分の試合のビデオを見ているみたいだった。相手にリードされていても、どんな攻撃でひっくり返せるか読めるから、慌てない。私たちは、打倒中国を掲げて練習していたので、練習の成果が無意識に出たんだと思いますけど、読み通りに3セットまでいったというのは初めての経験でした。いや、それ以降も予測が全部当ったという試合はないんですけど」

 中田のトス捌きに乗った全日本は糸を引くように連動し、アジア選手権で世界選手権王者の中国を3−0で退けた。日本がビッグ大会で中国に勝ったのは、実に5年ぶりだった。中国への苦手意識も消えかかった。