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特集観る将棋、読む将棋

2022/02/24

 蒲田名人戦は三番勝負で、永瀬は防衛戦のほとんどを2-0のストレート勝ちしていた。伊藤は挑戦したときのことをこう振り返る。

「私は奨励会に入って1年くらい、3級か4級だったと思います。2期続けて挑戦者になれたのですが、永瀬先生とは力がはっきり違って、ほとんど指導対局のようなものでした」

 だが奥村の見解は少し違う。

「記録を見直して思い出したけど、最初の挑戦では、伊藤君が切れ味鋭く攻め込んだんです。それに対して永瀬君が自陣飛車を打った。鬼のような本気の受け潰しの手をね。あの攻めは他の人では受けきれなかったんじゃないかな。2回目の挑戦で、伊藤君が1勝を上げるんです。ビックリしたなあ。決して永瀬君の油断ではなかったと思います」

 伊藤が蒲田将棋クラブに通うようになったのは小学3年生のときからだ。師匠の宮田利男八段に、強豪が集う蒲田で腕を磨くことを勧められた。毎週末、一人でバスに乗って通った。奥村は当時の伊藤に特別なものを感じていたのだろうか。

「伊藤君は若くして奨励会で級位が上がっていくから、佐々木勇気君や永瀬君のようにプロになるだろうという予感はありましたよ。でも絶対になるという確信まではない。そんなことはわからないから。一つの瞬間に光る手を指す子はいるけど、プロになるかどうかは別の話なんでね。努力を続けられるかどうかだから」

 永瀬に勝った相手が伊藤だとすぐに思い出せなかったのは、あまり目立たない子だったからだろうか。

「それはありますね。子ども同士が盛り上がっているときも、伊藤君はニヒルに口元を歪めている感じで(笑)。ちょっと大人っぽい子でした」

 伊藤は中学生になってからは自宅での研究や奨励会員同士でのVSが中心になり、蒲田将棋クラブへは時折顔を見せる程度になった。永瀬と再び対局するのは伊藤が三段リーグに上がり、奨励会仲間を通して、永瀬の研究会に誘われてからになる。

棋士になって一番大きかったのは「精神的に楽になったこと」

――プロデビューして1年を振り返って。

伊藤 最初2連敗というスタートで、焦りはありました。自問自答は常にしているのですが、基本的には普段と同じことを続けるしかないと思っています。いまは徐々に持ち時間の長い棋戦で結果が出せるようになってきました。

――棋士になって一番大きかったことはなんですか。

伊藤 精神的に楽になったことですかね。四段になれないとスタート地点にも立てていないという感覚だったので。本当に早く四段にならなければと思っていました。藤井さんが先を行っているのが大きかった。

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