奨励会入会は藤井が小学4年で、伊藤より1年早かった。関東と関西に分かれていたので顔を合わせることはない。だが藤井の成績はずっと気になっていた。
伊藤は入会後に順調に昇級を重ねるが、1級で9ヶ月、初段で1年5ヶ月と停滞する。
藤井が史上最年少で四段昇段をかけた日、偶然にも伊藤は奨励会で同じ部屋にいた。藤井の対戦相手は、伊藤の同門である坂井信哉三段。兄弟子が勝ち、藤井が負けたことを知った伊藤は「これで彼の昇段はなくなった」と思った。だが三段リーグは1日に2局あり、藤井は最終局にも昇段の可能性を残していた。次局は別室となり、伊藤は帰り際にライバルが四段昇段を決めたことを知った。
遅れること4年でプロデビュー、勝率は8割1分6厘でトップ
有楽町朝日ホール会場――。
秒読みの中、藤井の指し手はA級棋士の広瀬を相手に微塵もぶれることがなかった。終局が近いことを張り詰めた会場の空気が語っていた。
「50秒、1、2、3……」
秒を読む伊藤の声が響く。広瀬は局面をじっと見つめる。そして「負けました」と頭を下げた。短い沈黙の後、会場から割れんばかりの拍手が起こった。
伊藤はペンを取り、記録用紙の最後に「117手まで、藤井五段の勝ち」の文字を書き込むと、口をグッと結んだ。
この日から2年7ヶ月半後、2020年10月1日付で伊藤匠はプロデビューを果たした。藤井聡太のデビューからちょうど4年後である。順位戦に初参加した2021年度の成績は、現在の時点(2022年2月20日)で40勝9敗。勝率は8割1分6厘で全棋士中のトップを走る。藤井の5年連続勝率1位を阻む可能性も出てきた。
「連勝が早く止まってくれとずっと思っていました」
――第11回朝日杯の準決勝と決勝の2局で記録係を務められました。藤井五段(当時)が優勝を決めたときはどんな気持ちでしたか?
伊藤 そうか、優勝までしてしまったかという感じでした。その後は立食での打ち上げにも参加しましたが、藤井さんと話すことはなかったです。途中で職員の方が気を遣ってくれて、先に帰りました。将棋の内容は2局とも覚えています。藤井さんの将棋は特に忘れないですね。
――奨励会時代には、藤井竜王の記録を他にも何度か録っているそうですね。
伊藤 初めて藤井さんの記録を録ったのは、デビュー24戦目の梶浦(宏孝)四段(当時)戦でした。対局室に入ると、なぜか佐々木勇気さん(現七段)が部屋の隅に座っていて、なんでここにいるのかと。その日は25戦目の都成(竜馬)四段(当時)戦も記録を録りましたが、連勝が早く止まってくれとずっと思っていました。
――同い年の棋士の記録を録ることに抵抗はありませんでしたか?
伊藤 かなり先を行っている方でしたし接点もなかったので、それほど抵抗はなかったです。強いですし、勉強になりますから。