昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集観る将棋、読む将棋

2022/02/24

――藤井竜王以外の棋士に対しても負けてほしいと思うことはあるのでしょうか? 例えば永瀬拓矢王座や佐々木勇気七段に対しては?

伊藤 思わないですね。やはり同世代だからというのが大きいです。奨励会の頃から歳の近い人たちの成績は意識していました。今だと普段からよくVSを指している棋士の成績は注目しています。永瀬王座もそうですし、佐々木勇気さんは序盤の研究量が深いという印象で、かなりキレがすごい。指していても勉強になります。

――藤井竜王とは小学3年生のときに全国大会で対戦していますが、子どもの頃から意識していたのでしょうか?

伊藤 藤井さんを意識したのは、その小3のときくらいで、そこでしか顔を合わせたことがないかな。自分はそれ以降の大会は予選落ちばかりしていたので。明らかに格下の相手にも負けて、それ以来全国大会にまったく縁がなかった。小3がピークでした(笑)。

――その頃が将棋を始めてから一番停滞していた時期?

伊藤 小学3~5年くらいの頃ですね。自分自身、その頃はたるんでいたというか、実力が伸びていなかった気がします。子どもですし、そこまで真剣に取り組んでいなかったというか。そのあたりで藤井さんとかなり差が出てきた気がします。停滞から抜け出せたのは、奨励会に入れたことが大きかった。将棋界の厳しさを実感して、より勉強しなければと思いました。藤井さんが先に奨励会に入ったことは、意識していたかもしれないですが、その頃に何を思ったかは覚えていません。

 

「鬼のような本気の受け潰しの手を受けても…」永瀬拓矢に勝利した小学生時代

「永瀬君が小学生に負けた衝撃は覚えていますよ。でも相手が誰だったかは忘れていた。そうか、伊藤君だったのか」

 蒲田将棋クラブの席主、奥村友朗は8年前、2014年のことを振り返った。

 クラブには全国でも屈指のアマ強豪が集まる。実力別にリーグが分けられ、最上位のS級にはアマトップクラスの他に奨励会員も名を連ねていた。そのS級優勝者が3ヶ月に一度の蒲田名人戦に挑戦するシステムだ。伊藤は小学6年生のときにS級リーグでトップになり、当時の名人保持者の永瀬拓矢に挑んだ。奥村は言う。

「小学生が挑戦者になったのは、確か広瀬君(章人・現八段)以来だったと思います。永瀬君はすでにプロ入りしていて、六段だったかな。普通はプロになったら返上するんだけど、負けず嫌いだから広瀬君の記録(20連覇)を抜きたかったんだろうね」

z