2021年、大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手は、ピッチャーとして9勝、バッターとして46本のホームランを放ち、イチロー以来20年ぶりとなるMVPに輝いた。そんな彼の貴重な歩みを記録し続けているのが、ベースボールジャーナリストの石田雄太氏だ。
ここでは、同氏の著書『大谷翔平 野球翔年 I 日本編2013‐2018』(文春文庫)から一部を抜粋し、大谷翔平選手の轍(わだち)を辿ってみたい。まずは2015年まで時計の針を戻し、WBSCプレミア12の準決勝、韓国戦の大谷選手の活躍を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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運命を変えた一戦 WBSCプレミア12準決勝 韓国戦
大谷翔平は2015年のWBSCプレミア12で、韓国と2度にわたって対峙した。1度目は札幌ドームでの初戦。2度目は東京ドームで行なわれた準決勝。その2度の韓国戦──彼にとっての“色”は違っていたのだろうか。
「シーズン中から、『プレミアの初戦は札幌ドームだよ』『相手は韓国だから』と言われ続けて、『わかってるな』って釘を刺されていたので(笑)、そこに向けて準備をしてきました。でも、初戦の先発を実際に言われたときは、さすがに緊張感が湧き起こってきましたね。札幌、初戦、日韓戦と揃って、僕の中ではこれより緊張するマウンドはないと思っていたんですけど……」
1度目の韓国戦は2015年11月8日、札幌ドーム。
大谷は初回から161㎞のストレートを投げ、三振を奪うたびに雄叫びをあげて、韓国に得点を許さない。結局、李大浩(イ・デホ)、朴炳鎬(パク・ビョンホ)ら、2016年からメジャーリーグでプレーするスラッガーが並んだ韓国打線を相手に10個の三振を奪って、6回を無失点に抑えた。大谷はこう言っていた。
「シーズン終盤の大事な試合やCSという、勝たなきゃいけない試合で勝ち切れなかった。だからこそ、あの韓国戦ではそこを破りたい、勝ち切っていきたいなという想いがありました」
札幌、初戦、日韓戦と、3つのプレッシャーをはねのけて、大谷は完璧なピッチングを披露。日本に1次ラウンドでの1勝目をもたらした。しかし、この勝利だけでは大谷はまだ勝ち切ったことにはならない──そう考えていたのが、ファイターズの栗山英樹監督だった。
「翔平はこれまで大事なところで勝ち切れなかった“トラウマ”を持っているから、あれだけピッチャーにこだわってるんだろうね。それは翔平が入団してきたときから感じてた。大一番にピッチャーとして結果を出せていないのは事実だったし、だからこそ初戦に勝っただけじゃ、勝ち切ったことにはならない。負けても次がある試合と負けちゃいけない試合はちょっと違うからね」
プレミア12では参加12カ国を6カ国ずつ、2つのグループに分けて1次ラウンドを行ない、各グループの上位4カ国が決勝トーナメントに進む。日本は5戦全勝で1次ラウンドを勝ち上がったが、2勝3敗で4位のメキシコも決勝トーナメントに進んで、日本と3位決定戦を戦っている。つまり1次ラウンドでの敗戦は、数字の上ではさほどダメージにはならないと、栗山監督が続ける。
「だから本当に大事な試合は、負けちゃいけない準決勝だった。そういう状況で翔平がどうなるのか。同じ相手でも初戦と準決勝の2試合は違った。大事な試合になればなるほど、長所と短所のどちらかが極端に出やすくなるんだよ。1度目は長所が出た。負けちゃいけない2度目でも同じように長所を出せるのか……そこが今回、翔平が越えなくちゃいけないところだったんだと思う」