投げて、打って、走って、守って。メジャーリーグでの大谷翔平選手の勢いが止まらない。しかし、プロ入り直後は「二刀流なんて、ケガをする」「どっちも中途半端になる」「二兎を追う者は一兎をも得ずだ」「プロを舐めるな」など、否定的な意見が飛び交っていた。

 大谷選手自身、そして関係者は当時そのような声をどのように聞いていたのだろうか。スポーツジャーナリストの石田雄太氏の著書『大谷翔平 野球翔年 I 日本編2013-2018』(文藝春秋)の一部を抜粋し、紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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「僕がどういう選手になるかというのは自分で決めること」

 まるで野球少年に出会ったときのように、あえて大谷翔平に訊いてみた。

─どこを守ってるの?

 すると大谷は戸惑いながらもこちらの質問の意図を汲んで、こう言った。

「ピッチャーと外野手です」

─二刀流って言わないんだ。

「僕は使わないですね。誰が言い始めたのかわからないので……僕はそういう表現は使わないです。僕の中ではただ野球を頑張ってるという意識でやってますから、(投手と外野とは)やるべきことは区別して取り組みますけど、(両方やることを二刀流などと表現して)そういうふうに区別することはないかなと思います」

©文藝春秋

 強い調子の言葉だった。

 二刀流という言葉は使わない。

 それは19歳のささやかな抵抗だった。確かに大谷は誰も歩んだことのない、道なき道を歩くパイオニアでありたいと願った。2012年の秋、日米の球団からその素質を高く評価された大谷は、いったんメジャー志望を明らかにした。しかし日本ハムファイターズからドラフト1位で指名され、翻意する。それは、ファイターズが提案した仰天のアイディアが大谷の心を揺さぶったからだった。 

 それが二刀流である。

若いOBから現役の選手まで、飛び交う否定的な声

 しかし、パイオニアに吹きつける世の中からの風は、決して温かくはない。いつしか二刀流という言葉が一人歩きを始め、その挑戦に対する否定的な声が飛び交うようになる。

「二刀流なんて、ケガをする」

「どっちも中途半端になる」

「二兎を追う者は一兎をも得ずだ」

「プロを舐めるな」

 強面の古参OBだけではない。ユニフォームを脱いだばかりの若いOBから現役の選手まで、プロの野球人の中に、大谷の挑戦を肯定的に捉える声をほとんど聞いたことがない。