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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

《女子バレー日本代表の“覇権争い”》ネットをズタズタに引き裂き、「五輪は終わった」

日の丸女子バレー #21

2022/02/26
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すでに引退していた“新婚”の江上を復帰させた

 88年ソウル五輪の1年半前、第20回日本リーグを制した山田が総監督として全日本に返り咲き、選手の大型化に成功した日立を中心にした選手でソウル五輪を闘うことになった。ところがその直後、20歳で全日本の主将になりチームの司令塔だった中田久美が、右膝靭帯断裂の大怪我を負ってしまう。

 頭を抱えた山田は、ロサンゼルス五輪後に引退し、小田急でバレーチームを立ち上げ、監督に就任したばかりの江上由美を呼び戻そうと考える。江上は結婚し丸山姓に変わっていた。チームを結成したばかりでしかも新婚の江上にとって、山田のプランは難題そのものだった。

引退していた江上由美氏(左)をなかば強引に復帰させた山田重雄氏(右) ©文藝春秋

「チームを立ち上げて1年ちょっとしか経っていなかった。選手をスカウトして来た以上、その選手や親御さんにも責任があるし、小田急にも会わす顔がない。そもそも現役を離れて2年以上経っているので身体が動かなかった。でも、日の丸の名誉がかかっていると言われると、私個人の事情は引っ込めざるを得なかった」

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 江上は、大学の教員でバレー部の監督を務めていた夫に、大学を辞めて小田急の監督になってもらい、急場をしのぐことにする。江上が苦笑いする。

「だから今でも夫には頭が上がらない……」

 中田は医師から「現役復帰は難しい」と宣告されたものの、持ち前の負けん気で過酷なリハビリに耐え1年後に復帰。しかし、もはやソウル五輪まで半年を切っていた。