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空転した大林と吉原の“闘志”
そうした混沌の中迎えたのが、96年アトランタ五輪だった。
救いは、イタリア・セリエAでプロ意識に磨きがかかった大林と吉原の闘争心だけだった。だが2人の負けじ魂も、逆にチーム内では空回りする。
その上、協会からのサポートはまるでなく、吉田国昭監督やスタッフ、選手らは五輪会場でほっぽり出されたままの状態だった。
独自の練習場もない。これでは勝負に勝てるはずがなかった。
ウクライナに1勝しただけで中国、米国、韓国、オランダに完敗し予選リーグで敗退。史上最悪の9位に沈んだ。
山田は98年に失意のまま病死。
息を引き取るまで、バレーの戦術を考え続けていたという。