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「高田馬場」には何があった?

 高田馬場、という駅名は江戸時代に馬場(兵馬の練習場)があったことに由来している。早稲田通りの商店街に馬のイラストが描かれた幟がはためいているのはそうした由来によるものだろう。

 

 ただし、駅の周辺はもともと高田馬場ではなく、戸塚町や諏訪町といった。馬場は明治通りと早稲田通りの交差点を基準に北東側、いまの地名でいうと西早稲田の一角にあったそうだ。

 もちろん痕跡はほとんど残っていないが、甘泉園公園や水稲荷神社などがあって、堀部安兵衛の高田馬場の仇討ちの碑も建っている(この仇討ちエピソードを語りはじめるとキリがないのでみなさん調べてください)。

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 明治通りと早稲田通りの交わる星野仙一と岡田彰布的な交差点で引き返してしまったので結局本来の高田馬場には行っていないのだが、主役はあくまで駅なのでこれで許していただきたい。

 

「通りはとっても賑やかで人で溢れているのに、1本路地に入るとまったく静か」

 行きも帰りも同じ早稲田通りを歩いては芸がないので、早稲田通りから少し北側の路地を入ったところを歩く。するとまあ、これがまた早稲田通りとはうってかわって驚くほど静かな路地なのだ。

 早稲田通りはとっても賑やかで人で溢れているのに、1本路地に入るとまったく静かな古い住宅地。昔ながらの家もあれば、最近建て替えたような新しい戸建て住宅もあるし、古い木造のアパートもある。学生街の喧噪はまったく聞こえてこない。

 

 もちろんその中にも、大学生が知った風な顔をするのにちょうどいいような飲食店もあるのだが、純粋な学生街とはまったく違う空気が流れている。

 

 これは早稲田通りの南側も同じだ。高田馬場駅に近い早稲田通り南側は諏訪町といい、これまた住宅地。いかにも学生に愛されそうな安くて旨いであろう店もいくつかあるにはあるが、早稲田通りから離れるように進んでいけばまったくの住宅地になってくる。

 

「いわばもうひとつの高田馬場、である」

 入り組んだ細い路地の住宅地を抜けると諏訪通りという大きな通りにぶつかり、その先は戸山。大きな団地群が建ち並んでいるあたりは、かつて陸軍の施設があったところだ。

 

 実は高田馬場駅には早稲田口とは別にもうひとつの出入り口があって、それを戸山口という。戸山方面に暮らしている人や、学生であれば保善高校などに通う人はこちらを使う。存在感に乏しいがそれほど遠くにある出入り口でもないので、早稲田口の喧噪を面倒に思う人もこちらを使うと良い。

 
 

 さすがに大都会・東京の駅前なので戸山口とて人通りは少なくないが、早稲田口とはまったく違った“裏口”といった空気感。いわばもうひとつの高田馬場、である。