早稲田大学パワーと「高田馬場」
高田馬場駅は、早稲田大学が開校してからずいぶん経ったあとの1910年に開業している。次いで1927年に西武新宿線が乗り入れる(現在の位置にやってきたのは1928年)。
先にも書いたように高田馬場駅付近は本来の高田馬場とは離れていたので、地元は上戸塚駅や諏訪森駅を要望している。が、当時の鉄道院が「高田馬場に決めました」と押し切ったそうだ。
おそらく、この頃から駅と早稲田大学を結ぶ早稲田通りに飲食店などが建ち並ぶようになり、繁華街、学生街を形成していったのだろう。もともと幅6m程度に過ぎなかった早稲田通りは、1931年に幅22mの大通りに改修されたという。
さらに戦後になると、駅の周りにはバラック建ての飲食店がひしめくようになったという。1964年の東西線開通を契機に大胆な都市改造を行い、現在の高田馬場駅前が完成した。
高田馬場駅前のシンボル・BIG BOXは1974年にできたものだ。高田馬場駅と早稲田通りを中心に、繁華街と閑静な住宅地が巧みに棲み分けた町になった。早稲田通りに原色系の看板が無数に並んでいるのは、路地裏の住宅地を静かなままにとどめておくための装置になっているのだろう。
学生街の駅「高田馬場」
再び高田馬場駅に戻ってくる。やっぱりホームはお客の数に比べると狭いような気がする。
かつては駅の近くに職業安定所があって、駅構内に手配師がたむろしていたこともあったという。注意した駅員にサバイバルナイフを突きつけた、などという事件もあったらしいと聞くと、ホームの狭さなんて気にならないくらいにおっかない。
その頃の早稲田大学の学生は、学生街のあらゆる誘惑だけでなく、怪しげな手配師とも知らず知らずのうちに触れあっていたのか。そりゃあ、タフですねえ……。
ちなみに、駅の構内にはJR東日本の各駅で見かける駅そばのチェーンが入っている。チェーンでなかった時代には、立ちソバの味を中森明菜が「とてもおいしい」と言って注目されたのだとか。本当なのかよくわからないエピソードだが、そんな話が生まれるのも雑多さが特徴の学生街の駅ならではなのかもしれない。
写真=鼠入昌史
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