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「あんたのせいで始まらないのよ!」

――諸々気になります。

新田 それで、スタッフに「話が違う!」って怒って。もちろん今なら大人の事情とか分かりますよ。でも、そのとき私も子どもだったし、大人たちもイチイチそんな事情も話さないですよね。それで、「ちゃんと説明して。話を聞いて納得するまで着ない!」と駄々をこねて。しばらく仲のいいメンバーたちとコテージにこもっていたんです。

 そしたら、さゆりちゃんが私たちのいるコテージのドアを勢いよくバーン!と開けて、「あんたのせいで始まらないのよ!」って乗り込んできて。そんなこと言ってる場合じゃないですから(笑)。

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――そうかもしれませんが、中々の緊迫感のような。

新田 さゆりちゃんが後ろに助さんと格さんのように、仲間を2人引き連れてきて(笑)。ドアが「トントン、カチャ」じゃなくて、「バーン!!」でしたからね。こっちもその瞬間「あぁ、怒られるな」ってすぐ察して。

 でも、さゆりちゃんの言うことがごもっともだなと思いました。そこで、初めて周りのスタッフ、カメラマンさんとか照明さん、他のメンバーにも意識が向いて、申し訳なかったと気づいて。「水着でもめたスタッフたちとは後で戦おう!」と決めて急いで現場に向かいました。

暴走する車を母が止めようと

1988年、20歳の頃、お母様と埼玉県秩父でBBQを楽しむ新田恵利さん

――新田さんの意思とは別に、新田さんもおニャン子クラブもどんどん有名になっていきました。学校や家族への影響はありましたか?

新田 学校では、みんなが助けてくれたことはあっても、意地悪されたことはなかったですね。陰口やネガティブな話は、私の耳には一切入ってきませんでした。

 また、本当に忙しかったときは、番組の収録が終わった後に雑誌の取材やテレビの収録があって、帰宅するのは深夜2時とか3時。翌朝も6時には起きて、学校に行ってました。先生は、私の顔色がよっぽど酷かったのか、「出席扱いにしてあげるから、保健室で寝てなさい」って言ってくださったことも。同級生と先生には本当に助けられました。

――新田さんの人柄なんでしょうか。ご家族はいかがでしたか?

新田 家族には迷惑をかけましたね。電話帳に住所が載っていた時代です。ファンの方や興味本位で家を覗きに来る人。家の周りには常にたくさんの人が集まってしまいました。ご近所の方からもクレームが入ったこともあります。そんなとき、いつも守ってくれたのは母でした。