ある日、私が自転車で通学しようとしたとき。その日もたくさんの人や車が、家の近くで待ち構えていました。私は強引に自転車で走り出しましたが、母は追いかけようとする車のボンネットに手をつき、阻止しようとしたんです。それでも車は走り出して、その勢いで母は倒れて怪我をしてしまいました。
学校から帰宅すると、いつも応援してくれた母が、家で横になっている姿が見えました。私のせいで、申し訳なくて、悲しくて、涙が止まりませんでした。
AKBの総選挙には耐えられないです(笑)。
――おニャン子クラブに続き、「モーニング娘。」や「AKB48」なども登場していきました。同じ女性のグループとして、似ているところ、または違うと思うことはありますか?
新田 彼女たちはプロ意識がある集団ですし、何事も真剣にやってるなぁと思います。おニャン子クラブも真剣にやってなかったわけじゃないですが(笑)。
――「たられば」になってしまいますが、新田さんが高校生のときにモーニング娘。やAKB48があったら、グループに入っていたと思いますか?
新田 AKBの総選挙でしたっけ? あれは耐えられないです(笑)。あんな露骨にランキングに出てしまうのはキツイじゃないですか。元おニャン子メンバーが仕事で集まったときも、そんな話になって。そこでも、さゆりちゃんはランキングが出た方がいいって言ってて。他のメンバーと「ヒエェ~」ってなってました(笑)。
「元おニャン子」を一生墓までもっていく
――卒業した後もなお、各々のモチベーションがあると(笑)。改めて、新田さんにとっておニャン子クラブで過ごした日々はいかがでしたか?
新田 貴重な体験をさせてもらいましたね。どこかにロケに行ったとか、芸能人に会ったとかそういったことではなく。売れたとき、売れなくなったときに人が豹変する様子や、大人は嘘をつくとかね(笑)。生きていく上での真髄を若いうちに経験したと思います。
――今でも「元おニャン子」って言われることに対してはどう思いますか?
新田 なんでしょうね。自分のことなんですけど、自分のことではないような。1つの存在というか。言われて嫌な時期ももちろんありましたよ。でも、あるときからピンク・レディーさんはずっとピンク・レディーさんと言われることにはたと気づいて。そこから、じゃあもう分かった。一生、墓までもっていきましょうとなりました。
(撮影:石川啓次/文藝春秋)