――取材して原稿を書かれて。
新田 いやぁ、書き直しが半端なかったです! 何度も何度も書き直して、それでも全然OKにならなくて。もちろん、自分の文章力がおぼつかなかったまでです。それでも書いて書いて、どうにか仕上げて。
ただ、取材相手は基本的に忙しい方たちでした。おニャン子クラブの名前を知っていても、メンバーについて知らない方がほとんど。「新田恵利です!」と言ったところで「はぁ」となる。普通の一ライターとして接してくださったのは、ありがたくもあり、厳しくもあり、勉強になりましたね。
芸能界の人間は好きじゃなかったけど、お仕事は好きだった
――ライターとして、長くやっていけそうな手応えもありましたか?
新田 書き終わったあとの達成感はありました。でも、書く仕事1本でやっていくのは、私にはきついなって。ただ、書くこと自体は好きなので、ライフワークとしては一生続けたいなと思いました。
また、その頃エッセイも1冊出させて頂いたんです。当時憧れていた作家さんが群ようこさん。群さんのように、日常のことを面白おかしく書いてみたくって。でも、いざ書いてみたら、もう引き出しが無くなっちゃった。もう何もないじゃん!って(笑)。
それに、正直経済的にもそんなに豊かではなかったし、改めて仕事について考えるようになりました。芸能界の人間は好きじゃなかったけど(笑)、お仕事は好きだったと。では、またその世界に戻ろうって思ったんですよね。
宙ぶらりんな状態で復帰してしまったなぁ
――25歳で芸能界に復帰されましたが、いかがでしたか?
新田 ライターとして3年間、たくさん記事も書いたし、違う分野の世界も見たつもりです。それでも私にくるオファーは、暴露本とかヘアヌードばかり。そういったものが絶好調だった時代でしたが、もう気分はどん底でしたね。
――辛いですね…。そもそも、アイドルとして復帰を考えていたのでしょうか?
新田 当時のアイドルは、20歳くらいで卒業する人がほとんどでした。モーニング娘。さんとかAKBさんの時代になると、もうちょっと上の世代まで活躍されていますが、あの頃はもっと早かったんです。
また、私が10代の頃のアイドルは、誰かに質問を振られるまで自分から喋っちゃいけないような、暗黙のルールがありました。でも、復帰した頃にはみんな自分からハキハキ話していて。そのへんも自分の性格的に難しそうだなって感じたし。なんだか年齢も立ち位置も、全て宙ぶらりんな状態で復帰してしまったなぁと。ただ、もうおニャン子時代のように、忙しすぎて無理はしたくないとも思っていて。