旅ロケしか出ない時期もあった
――ご自身のペースでやっていきたいと。
新田 ただ、親と安心して生活できればいいなって思ってましたね。
そうしているうちに、運よく旅番組に出させてもらえるようになりました。当時は、その年齢で旅番組に出ている人がすごく少なかったんですよ。元々旅も好きでしたし、ロケはすごく楽しかった。1カ月の間に3回も同じ旅番組に出ていたこともありますよ。
――新たなジャンルでの活躍が広がったような。
新田 ありがたいですね。当時はロケで色々な場所に行かせてもらいました。今は、せいぜい長くても1泊2日くらいのロケが多いと思いますが、当時は長いと4泊5日。たとえば地方に行って、炭を焼くおじいちゃんの話を聞きながら、炭が焼きあがるのをじーっと待っているとか(笑)。
旅館の女将の話を聞いたり、その土地の陶芸とか見せてもらったり、どの旅もとても穏やかな時間でした。世間的にはゴールデン番組にも出ていなかったし、当時の旅番組って若い人はあまり観てなかったけど、ちゃんとテレビに出てましたよ(笑)。
――新田さんは旅ロケとマッチされていたんでしょうね。
新田 むしろ、旅ロケしか出ない時期もありました。あえて、スタジオの撮影は断っていて。やっぱり罪悪感というか、芸能界に対して出戻りの気分もあったんですよ。あと、元々、イケイケの業界に対する色々な思いもありました。そもそも「ザ・業界」といった空気があまり得意じゃないんです。
――そうだったんですね。
新田 私は元々人見知りの部分があるし、人との付き合い方も器用でもない。特に芸能界の先輩とかに、仕事がオフの状態でバッタリ会っても、どう挨拶していいか分からなかったんです。「新田恵利です!」と挨拶しても「知らないよ」って言われたら傷つくじゃないですか。かと言ってスルーするのも気が引けるし。だから、芸能人がよく行く場所は避けてました(笑)。
――いわゆる六本木とか赤坂とか。
新田 麻布とかね。行かないです。
初デートの日の帰りに「結婚してください」って。
――ところで、29歳のときにご結婚されたとのこと。元フジテレビ社員の方だと聞いています。
新田 おニャン子クラブが再結成したときに、仕事で出会いました。一言ではいえば優しい人。旦那さんを見て、100人中100人が「優しそうですね」って言います。それ以外聞いたことなくて、本人も私もそれ以外を聞いてみたいと思ってますが(笑)。