イヤミはトニー谷? チビ太は悪ガキ仲間がモデル?
――4回の短期連載だった『おそ松くん』は、結果的に7年にもおよぶ長期連載になったということですね。
赤塚 そうですね。母が「本当に面白い漫画を描けば絶対連載になるから! とにかくこの4回にかけよう」と言って、1回目からハチャメチャに描いたら読者から大反響があって。それから7年続いたのはすごいですよね。
――6つ子だけではなくて、イヤミやチビ太、デカパンなどのサブキャラクターも人気ですよね。実在の人物がモデルになっているのでしょうか。
赤塚 みんな可愛くて憎めないキャラクターですよね。イヤミはトニー谷さん(※日本語と英語を交ぜたギャグで一世を風靡した舞台芸人)がモデルという説もありますね。ただ、当時の映画を観ていると、スノッブで嫌味ったらしい、芸術家気取りのキャラが登場して「~ざんす」と言っているシーンが多くあったので、イヤミのようなキャラはその当時の象徴だったんだろうなと思いますね。他にもチビ太は、父が幼い頃に遊んでいた悪ガキチームの“ジョンジョン”という男の子がモデルになったと聞いています。
一斉を風靡した「シェー!」の誕生秘話
――イヤミが驚いたときの「シェー!」というポーズは、1960~70年代に大ブームを巻き起こしましたね。
赤塚 いまの60歳以上の方は「シェー!」のポーズで撮った写真が必ずあるっていいますよね(笑)。当時、カメラを向けると子どもが「シェー!」をしちゃうので、学校で“シェー禁止”をしたこともあったと聞いたことがあります。天皇陛下も小さい頃「シェー!」をしていましたし、ゴジラやジョン・レノンもやっていたので、すごいことですよね。
私は「シェー!」の全盛期は小さかったので、日本中の子どもたちが「シェー!」をしていたというのは記憶にないですけれども、私も幼い頃に父と母に手と足を持たれて「シェー!」のポーズをしている写真はありますね。
――誰でも簡単にできるポーズですよね。「シェー!」ポーズはどのようにして誕生したんですか?
赤塚 『おそ松くん』は、うちの母だけではなくて、高井研一郎先生(代表作「総務部総務課山口六平太」)や北見けんいち先生(代表作「釣りバカ日誌」)、古谷三敏先生(代表作「ダメおやじ」)がアイデア会議でいろいろとアイデアを出してくださっていたんですよね。
そのなかで、父と高井先生が「イヤミというキャラクターはどういう感じだろう」「驚いた時はどんなポーズが面白いんだろう」というやり取りをしていたそうなんです。それで、父がたまたま「シェー!」ってやった時に靴下がビロビロ~って伸びていたらしいんですよね(笑)。それで大爆笑して、「シェー!」のポーズが決まったそうです。