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どうしたら客にまた来てもらえるか考え続けてきた

 Yさんは現在60代半ばで、30代の頃は当時流行の兆しを見せていた「屋台村スタイル(一つの敷地の中に専門店が多数あるようなタイプの店)」をいち早く取り入れた居酒屋を経営していたこともあったという。

 「飲み歩いてバクチして、根が遊び人やねん(笑)」と語るYさんはさまざまな形で飲食に関わってきたが、そのポリシーは「味に対して手を抜かんこと」と「上手な人をよく見て、自分のものにすること」だそう。

 四天王寺では今の屋台だけでなく、色々な商売をしてきた。縁起物の「祝い袋(金封)」を売る店をやったり、くじ引きの店をやったり、ちりめんじゃこを売ったり。いくつもの商売を渡り歩いてきたYさんだが、「何が正解で何が間違いか、わからんからな」と、その都度、どうしたら店が繁盛するか、そして客にまた来てもらえるかを考え続けてきたという。

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「儲けばっかり考える人もおるけど、そういう店を客はよく見てるから『ここではもう買わん』と思う。せやからやっぱり最後は良心的なところが勝つと思う」と語る。

「もうわしも歳や。酒もよわなってきた」というYさんだが、その言葉に反して体はシュッと引き締まって筋肉質だ。自分のことを飾り立てて話すようなことは一切ないが、数々の商売を経て積み上げてきたノウハウに絶対の自信を持っているように見えた。

「コロナで縁日が中止になったりして、大変ではないですか?」と愚問と思いつつ聞いてみると、「決まった祭りにだけ(露店を)出してたらこれが中止あれが中止ゆうて大変やけど、自分らはあちこち商売できとったから、そんなにめちゃくちゃ大変ではなかったな」と言う。Yさんは四天王寺以外にも関西を中心に各地の縁日やお祭りに露店を出しており、一年のはじめにはその年の終わりまでのスケジュールが埋まっているのが常なのだとか。