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非核保有国である日本の“タブー”に触れた石原慎太郎の主張「米ソ中の三角関係に、日本が核保有国として加わらぬ限り…」

『石原慎太郎と日本の青春』より #3

2022/03/25

source : 文春ムック

genre : エンタメ, 芸能, 社会

note

 これが更に、中国のICBM保有ということになると、米国の核の抑止力、発進力は更に信頼性を失い、稀薄なものとなる。MRBMだけの段階なら、アメリカにとって、ことは日本の問題にとどまったが、ICBMになると、日本の問題は即ち、アメリカ自身の危機となる。

 対ソのようにICBMの能力がパリティでない段階でも、すでに米国と顕らかに実力の違う中国との間にもある種の抑止力が働くことになる。即ち、米中交戦の際の、米国が受ける被害を最小限に見積っても、中国から受けた米国の損害は、米ソのパリティに変動を来し、保たれていた均衡が他の手によって破られることで米国は追い込まれることになる。

 中国がICBMを実戦配備した段階で、米国が、中国からの第一撃で受け得る被害は、まず西太平洋岸と想像されるが、その被害度は、米国の報復反撃による中国へのそれよりもはるかに少なくとも尚、米国民に与える心理的打撃は甚大であり、その種の打撃が核戦争の遂行をほぼ決定的にさまたげることは自明である。

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 いずれにしても、当初ICBMでポイントアウトして来た仮想敵国のソヴィエトとの均衡はさまざまな形で破綻を来す訳で、アメリカは中国が最小限のICBMをアメリカ向けに実戦配備した瞬間から、日本初め他の同盟国のために身動き出来ぬ状態に陥ることになるのだ。

 今はまだ現実を糊塗することが出来はしても、その時点から、アメリカの戦略的の信頼性の顕著な減退によって、日米関係は冷却失速するに違いない。

©文藝春秋

「経済」を守るための「防衛」

 日本に非核のタブーを破らしめる要件は、他にもある。それはソヴィエトの世界政略であり、皮肉にもうひとつ、アメリカの世界政略の後退による日米関係の微妙な変調である。我々が、相互の今後のために、日米関係を喪えない、と判断するならば、後に触れるが、それを維持するために、さまざまな思いきった配慮と試みをしなくてはなるまい。

 我々はここらでもう1度「防衛」という言葉が何を意味するのかを考えてみる必要があるのではあるまいか。

 今日の「防衛」の対象が、単に北海道・本州・九州・四国、やがては沖縄という、国土だけを対象にしたものでないことだけは顕かだろう。

 守るべきものは国土の他に、民族の血、文化、伝統、さまざまあろうが、視点を変えていい切れば、我我が今日の国情を、曲りなりにも繁栄と呼び、手に負えぬ公害と、期待されるそれへの対処をも含めて、ともかくこの繁栄を更に健全化しながら保っていくことを願うことには大方異存はあるまいし、そうした繁栄の上にこそ、民族の血も誇りをもって保持され、文化伝統の継承とより大きな発展もあり得るとするなら、GNPへの批判はありながらも、そうした経済体質改善の必要性可能性を含めて、我々が今日持つに到ったこの経済的ポテンシャルを維持し、更に高めていくことこそが国家の現実面における最大の目的としても、大きな反論はあるまい。

 ならば、国家の防衛もまた、誤解を招きそうだが、今日の日本の経済を守る、というか国家経済の維持のために腐心されるべきだろう。