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非核保有国である日本の“タブー”に触れた石原慎太郎の主張「米ソ中の三角関係に、日本が核保有国として加わらぬ限り…」

『石原慎太郎と日本の青春』より #3

2022/03/25

source : 文春ムック

genre : エンタメ, 芸能, 社会

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中曽根康弘氏への反論

 日本の核保有論のこうしたレゾンデートルに比べて、多くの非核論の論旨は私には不鮮明だし、結局、相手の意図を勝手に推測しての論に帰着するような気がする。そして更にその先の帰着は、結局のところ、万々が一の際は、屈辱汚辱に這いつくばっても生だけを得る、という少くとも私には容れ難い態度に落ち着かざるを得ない。

 一方的に引いては不公平になろうが、防衛庁長官という公職にあるから敢えてするが、中曽根康弘氏が昨年、数カ月考えに考えた末、日本は非核でいくべきだ、という結論に達したという論拠は、日本の核保有踏み切りに対するアメリカ側の強い反対、そして、平和利用のウラン輸入への報復制限、イギリス、フランスの経済に彼らの核保有が与えた打撃、イギリス、フランスの保有核の、現在までの有効性の乏しさ等等だが、そのいずれもが認識違いというよりない。

核保有による新しい手詰り

 少くともアメリカの現政権に繋がる専門家たちのあるものは、日本の核保有を許容し得る見解を持っているし、日米原子力協定が、日本の核化への傾向によって崩壊するということは常識上考えられず、あっても世界におけるウランのダークマーケットを知らぬ論であり、また日本の経済は、考えられ得る最小限有効の核保有に充分耐え得る実力を持っている。

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 そして、イギリス、フランスと比べ、日本は経済の特性からしても、将来、その核を外交の切札として充分に発揮出来る機会を幸か不幸か持ち得ることは容易に推測出来よう。

 我々はその引き金を引くために核を持つのでは決してない。しかし、核は引き金を引く以外に使われ得るし、実際に使われて来た。イギリスのスエズ侵入を挫折せしめたものは、ソヴィエトの核の恫喝であり、キューバ危機を救ったのは、ケネディの核戦争も辞さぬという意思表示だった。

©iStock.com

 現実の国際外交の最重要な要件は、いつも、そうした核の微妙な性格の琴線の上にかかってあるのだ。

 日本の核保有があり得るとしたら、それはあくまで、嘗てフランスが希んだように、アメリカとの共同の引き金、相手に対する多辺的な抑止力という形をとるべきであろう。ならば、東南アジアから後退していくアメリカへの、同盟諸国の不満と、日本の核保有への不安が相殺され得る。昨年から今年へかけて、私が会った限りのフィリピン、タイ、インドネシヤの次代のリーダーシップを期待される政治家や軍人は、その限りで充分了承出来得る、歓迎すべきことであるとさえいった。

 キッシンジャーはアメリカが嘗(かつ)て、フランスの核保有に罪人を罰するような姿勢で臨んだのは誤りであったと記している。

 中共のICBMが配備される将来、日本がフランスに準じるような中型の核国家になることは、たとい現在、中ソ間に激しい紛争があるとはいえ、核の上で完全均衡のソヴィエトと、更に、相互に、不完全ではあれ抑止状態が現出する中国を相手としてかかえたアメリカにとって、中ソに対する多辺的な抑止力のパートナーとしてフランスの存在よりも価値あるものになるだろう。

 その結果、世界最大とはいえ、今日では日本のための抑止力を欠いた、アメリカの核戦略の価値は再生されるのである。日本の核保有は、現実の核状況の不安な流動化を阻止し、核的中和剤となり、ハーマン・カーンの、核の拡散はむしろ核危機を軽減するという予言を立証するに違いない。中国の核保有を阻止出来なかったソヴィエトは、日本の核保有に関してアメリカを非難する資格をすでに喪っている。