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 丁度詰め将棋で、王対王の睨み合いに相手に飛車が一枚加わって押された棋譜が、こちらも角を一枚加えて新しい手詰りとなるに等しい。そしてその限りでも、アメリカはソヴィエトへの懸念と今までの成り行きの惰性で、日本に核散防条約の批准を強いるべきではなく、この問題に関するフリーオプションを認めなくてはなるまい。

「核保有」を頭から否定する愚

 先年、沖縄返還妥結後のワシントンで私は多くの政治家、軍人、学者と、今後の日米関係について語ったが、何ら新しい水口を見出せずにいる彼らに、私は敢えて1つの主題として、日本の核保有へのアメリカのコミットメントを示唆したが、半ばは驚き当惑顔であったが、半ばは最も新しい、最も暗示的な提言として迎えていた。

 必然、その附帯条件として、核散防の批准拒否を示したが、総じてワシントンの表情は、日本の外務省が矢鱈気にしているのとは違って、拡散防に関しては情熱的ではなかった。不拡散条約(ノンプロリフアレイシヨン)を不代償条約(ノンプロピテイシヨン)ともじって非難した私に、あるものは同意して頷きさえしていた。

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 いずれにしても、核を持つ持たぬの可否を今から、頭から否としてあからさまにし、その可能性を自らつんで、今後の諸紛争諸対決を外交交渉で解決する際の、我が国の立場を弱くしてしまうような条約的措置は、どう考えても愚かなだけでなく、売国的結果をもたらさぬとも限らない。

 ワシントン上層の表情が、核散防に関して情熱的でないのも、それが単に前政権の置き土産というだけではなく、所詮、この多極化の時代に逆行して世界の秩序を核を通じ、嘗ての冷たい戦争時の米ソ2国の支配におこうとする、保守的というよりも退嬰的なものでしかないということを彼らが冷静に感知している証拠でもある。

 その条約を、日本の外務大臣は施政方針演説の中で、世は多極化の時代であると前置きしながらも、精神的には大変結構だと、誰のためにか知らぬが持ち上げて見せる。私には何だか話が全くわからない。

©文藝春秋

非核というタブーについての激しい論争を

 日本の核保有が可とされた場合、軍事的にということは即ち外交的に最も有効な形は、相手からの先制攻撃を受けにくく且つ最も生存性の高い高性能の原子力潜水艦に搭載した核兵器となるだろう。

 他の核技術開発によって、核兵器の潜水化が世界的傾向となって来た今日、マープを搭載した数隻の潜水艦が、たとい日本が焦土化しても、その報復に相手へ甚大な被害を与え得、それに誘発されてアメリカの核戦略が日本の報復に相手を潰滅させる攻撃を加え得る、というポテンシャリティが、実は最小限度の投資で、日本自身を核の四方四すくみの手詰りの中に加え、向う将来、国家の健全な維持を保障する術になり得るのではないか。

 米ソ中の三角関係に、日本が核保有国として多辺的抑止の形で加わらぬ限り、アメリカは不完全抑止のままに中国に接近し、日本は嘗て米ソ接近の代償に供された西ドイツと同じように両者の間から弾き出されるだろう。

 将来、米中接近のとき、中国というバスに乗り遅れるな、という一部の説は、実は、今日の力関係の中で、乗車の資格もない人間の身分不相応な懸念でしかない。