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 そしてこの日本の経済の骨組みは、世界に例のない厖大な再生産工業国家として、狭小な国土をはるかにはみ出し、外洋に、そして外国にその構造の足場を下し、巨きくとも骨組みはか細く、いかにも心もとない形態である。

 しかし、この経済を維持し守るべく、我々は往時のように、植民地に兵を置き、遠い他の公海に艦隊を派遣する訳にはいかない。だが、現在から将来にかけての国際情勢は、日本が、他国・他地域に及んだ自国の経済の骨組みを維持し守るべく腐心せずにすむようなものでは決してない。

©文藝春秋

「外交力」を高める「軍事力」

 新しい英国保守党政権がどのような方向転換を行なうかはまだわからぬが、我々にとって強固な友好国である英米の世界政略戦略が海外から大きく後退しようとしている時、それに代って現われるものが、ソヴィエトの世界政略戦略であり、中国のそれであることは今日まで起っているさまざまな国際事件を見ても顕らかである。

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 日本がこれらの政略戦略と抵触するのは、主に経済面においてであろうが、例えば今日、合成繊維問題で対立しているようなアメリカ相手などとは違って、彼らの経済政治が、その背後に世界政略を控え、その政略を間近く露骨にその世界戦略がバックアップしている限り、はるかに手強い、というか理不尽な相手であり得る。

 彼らの政治的経済と日本の政治的計画性の殆どない経済との抵触は、他の自由主義国家とのそれと違って、単に対立に終らず、もっと過熟した対決の形を容易にとるだろう。

 しかし、我々はその対決の中で軍備を背景に自国の利益を守るという訳にはいかない。その能力はない。あくまでも平和裡に、つまり、外交交渉によってそれを有利に解決しなくてはならぬ。

 しかしその際、その外交交渉におけるステイタスの高さを決めるものは、遺憾ながら古今東西、そして将来も、軍事力でしかなく、より具体的にいって、宮沢喜一氏がかつて「季刊芸術」の江藤淳氏との対談で暗示していたように、核保有非保有というステイタスに他なるまい。

 その当然の認識において、かつて毛沢東が日本人記者にいった“相手の持っているものをこちらも持つことが、政治の上策である。故に、我々はまず、ズボンをはかなくとも核を持つ”という言葉が生彩を放って来るのだ。