不肖・宮嶋、最後の戦場取材へ――。
数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(60)。これまでにイラク、北朝鮮、アフガニスタン、コソボなど海外取材を数多く経験し、あまたのスクープ写真を世に問うてきた。そんな不肖・宮嶋がロシアの軍事侵攻に揺れるウクライナへ。混乱する現地で見えてきた「戦争の真実」とは?
(シリーズの5回目/最初から読む)
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「つらい……待つことがこれほど神経消耗させるとは……」
「まだか? またか? また明日か?」
ここリビウに着いてから1週間が過ぎようとしていた。ワシはまだリビウにいる。
確かにウクライナ全土が戦闘地域である。ここポーランド国境に近いリビウまでにも空爆や砲声がひたひたと近づいてくるのも感じる。
しかしここでじっとしとられんのである。
「つらい……待つことがこれほど神経消耗させるとは……」
思いおこせばワシらの仕事は待つのが仕事や。路傍の張り込みに始まって、雨の日の政治家の出待ち、記者会見の場所取りのために何時間も前から会場で待機、これみーんな待ち続け。
もっと長かったんもあったやないか、アフガン入りする前、タジキスタンの首都のドシャンベ、タリバン政権と対立していた北部同盟の大使館での、支配地域までのヘリ待ち……。その逆の、アフガンから脱出するときは電気、水道、ガス、通信、一切のインフラのないパンジシール渓谷でただ何もせず、ぼーとヘリを待ち続け2週間。よう待ったやないか。
イラク戦争開戦前はヨルダンの首都アンマンで、イラクの報道ビザを求め1週間、あらゆるつてを手繰り1週間町をさまよったやんか(詳しくは拙著「空爆されたらサヨウナラ」「儂は舞い降りた」で。共に祥伝社刊)。