不肖・宮嶋、最後の戦場取材へ――。
数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(60)。これまでにイラク、北朝鮮、アフガニスタン、コソボなど海外取材を数多く経験し、あまたのスクープ写真を世に問うてきた。そんな不肖・宮嶋がロシアの軍事侵攻に揺れるウクライナへ。混乱する現地で見えてきた「戦争の真実」とは?
(シリーズの6回目/最初から読む)
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3日前、夜間のリビウ中央駅取材を通じ知り合った医療ボランティア「イゴール」氏から携帯に電話がかかってきたのは、すでに暗くなり始めた17時過ぎのことだった。
「今夜出発する」
「えっ! 今夜? まさか夜走るのか?」
「分かっている、1時間後ホテル側まで迎えにいく」
ここまできたらどうせ早くて明日の朝と踏んでいたが、まっさか……「いや、ちょっと心の準備が」と口からでそうになって、かろうじて飲み込んだ。
迫りくるロシア軍の戦車とキャタピラと石畳の摩擦音を背に…
彼らもウクライナ人である。マリウポリやハリコフでは1時間どころか空襲警報を耳にする前に頭上に爆弾落された無辜の市民がおったのである。
今もウクライナ中から脱出、難民となっていくウクライナ人家族は迫りくるロシア軍の戦車のキャタピラと石畳の摩擦音を背に10分で全財産をカバン一つに詰め込まざるをえんかったはずである。それに比べたらカメラマンの荷物なんぞたかが知れている。帰りは難民となったウクライナ市民と歩いて国境を越えることも想像しとったのである。キーウからは超過密列車に乗ることも考えキャリーバッグ2つに収めた。
キャリーバッグがこれほどヨーロッパの石畳と相性悪いということをここに来るまで想像もせんかった。これやったらいっそでっかいバックパックにしとくんやった。
荷物がびっちり詰められたフォードで出発
ホテル正面の細い路地から大通りの手前にそれはあった。日本のそれよりはるかにでかいワゴン車、いやトラックでもない、白い車体に赤い十字、が描かれた救急車にしか見えないフォード社製の大型車両であった。
「荷物はそれだけか? よかった。それなら中に積める」
観音開きの後部ドアが開け放たれるや、ルーフまでびっちり、詰め込まれた、これまた同じく赤い十字が印された無数の箱が崩れ落ちそうになった。かろうじて隙間を詰め、ワシの2つの荷は押し込まれた。