良かった。荷物を少なくして。これでいっつもみたいにあれもこれもやスペアのカメラに三脚やの持ってきたら、ウクライナの民に届くべき医療品をおろすはめになったかもしれんやないか。今ひとの命を助ける医療品と日本人カメラマンのどうでもええ荷物が同じ空間にあるだけで恐縮してしまう。
「よし! 時間がない。すぐに出発する。悪いが真ん中に乗ってくれ」
イゴールに背中を押されフォードの運転席真ん中に収まった。
足元には食料やろか、なんかニンニクの匂いがプーンと…
「せっまい!」
これだけでっかい車体やのにひろいのはうしろの荷物室だけ、運転席はリクライニングどころかスライドせん固定式、まだ日本の軽トラのほうが広いくらいである。さらに足元には食料やろか? なんやニンニクの匂いがプーンとする。さらにイゴールも運転手のおっさんも共に巨漢である。
「ゴキ」
マニュアルのインパネシフトレバーがローギアに入り、車は夜の帳がおり始めたリビウの町の渋滞を縫って行く。運転手がシフトチェンジするたびに、太っとい肘が脇腹に刺さる。これじゃあ無理せず列車でなんて案はもうない。
上等やないか。立錐の余地もない満員列車で、ずっと立ちぱなしで、泣き叫ぶわが子をなだめながら国を追われる300万のウクライナの民を思う。そのキエフ行き列車とて今も安全とは言い切れない。いつロシア軍に攻撃されるかわからんのである。現に1999年コソボ紛争取材時ではNATO軍のF-16戦闘機が乗客満載の列車を空爆した直後の地獄図をこの目で見たやないか。
「シゲキだー、ヤポンスキー(日本人)と呼んでくれ」と運転手のおっさんに話しかけると、「俺はルスランだ」と返ってきた。
良かった。やっぱウクライナや。シラフでも陽気なやつで。しかもアメリカ人ほどおしゃべりでもなさそうである。