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2022/03/22

genre : ニュース, , 社会

少し歩けば相模川。「せっかくなので歩いてみることにする」

 今度はあつぎ大通りの北東側の路地に入ってみよう。こちらも厚木一番街などの商店街を中心に、雑多な店が建ち並んで賑やかしい。

 そしてそのスキマに背丈の高いマンションがいくつも建っている。少し奥に行けばイオンもあった。市役所の目の前には厚木中央公園と名乗る大きな公園もある。

 
 

 ミロードにはじまって小さな店から大きな店、憩いの場の緑地まで。その中に新しいマンションが次々生えているのだから、そりゃあ住みやすいと思われるのも納得だ。

 本厚木駅は、小田急線が相模川を渡ってすぐの場所にある。つまり駅前から少し歩けば相模川ということだ。15分くらいで相模川の川っぺりまで行けるようなので、せっかくなので歩いてみることにする。

 

 一番街を抜けて中央通りに出て、そこから東へ一直線。通り沿いにはマンションが目立ち、今まさに住みやすくなろうとしている町らしい。

 その道をずっと川に向かって歩いていくと、今度は少しずつ雰囲気が変わっていくのだ。いかにも古い雑居ビルがあって昔ながらの商店街らしい店が並んでいたり、脇道には看板建築の古商店があったり。

 相模大橋という大きな橋を渡る手前の交差点には、「ようこそ厚木市へ」と大書された看板も掲げられている。そのさらに近くには厚木神社という市の名前をそのままいただいた神社が鎮座。駅前の市街地から15分くらい歩くと、同じ市街地が続いているはずなのにちょっと空気の違う町になってしまうのだ。

 

 これはいったいどういうことか。答えを探るべく、厚木の歴史を調べてみた。

「厚木は鉄道がやってくるのがだいぶ遅れた町であった」

 厚木という町は、もともと大山街道(矢倉沢往還)の宿場町として発展した。江戸から大山詣でに行く人たちがその途中で立ち寄って休息したり川遊びをしたり、そういう町だった。さらに相模川の水運の拠点としても賑わい、各地の物資が集まるような町でもあったようだ。

 その当時、厚木の中心は今の相模川の川っぺり、西側にあった。つまり、相模大橋に近い昔ながらの商店街があるような一角だ。近代以降、東海道線が通って物資輸送はそちらに移ったが、人の集まる厚木の中心は変わらなかったというわけだ。

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