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2022/03/22

genre : ニュース, , 社会

 これには理由があって、厚木は鉄道がやってくるのがだいぶ遅れた町であった。

 はじめて“厚木”を名乗った駅は、相模川の対岸にあるJR相模線の厚木駅。開業当時は相模鉄道の路線で、1926年に開業した。所在地は当時も今も海老名であり、厚木の町には川を渡らねばならなかった。

 

 厚木にないのになぜ厚木駅を名乗ったか、正確なところはわからないが、大山街道の宿場町として名を馳せていた地域の中核的存在の厚木の名をいただくことでお客を集めようとしたのかもしれない。事実上、厚木の町にとってもこの駅が玄関口になったので、あながち間違いともいえないだろう。

 本来の厚木市内に鉄道がやってきたのは、それから1年遅れた1927年。小田急線が開通し、相模厚木という名で現在の本厚木駅が開業した。

 しばらくは町の中心は古くから変わらず、駅とは少し東に離れた川沿いにあったが、戦後になって町が少しずつ西に向かって拡大。原点でもある古くからの厚木に背を向けて、発展していったということになる。

 

改めて地図を見てみると…

 改めていまの本厚木駅周辺の地図を見てみると、駅前からまっすぐ伸びるあつぎ大通りと、それ以外の街路はまったく垂直に交差していないことがわかる。本来メイン通りになりうる駅前からの大通りが、もともとの街路を無視したかのように斜めに通っているのだ。むしろ、相模大橋からそのまま伸びてくる中央通りが厚木の町のメイン通りということになろう。

 川沿いに南北に通っていた旧街道筋にはじまった厚木の中心は、中央通りに導かれるようにして西に移り、そしてそのまま本厚木駅へと向かっていった。その間に、一番街をはじめとする小さな商店街ができあがっていったというわけだ。

 さらに本厚木駅周辺にはいくつもの大型商業施設が乱立した。名を列挙すれば、長崎屋、イトーヨーカドー、マルイ、ラオックス、パルコ、忠実屋、東急ストア。マルイやパルコというとなんだかハイソでモダンでファッショナブルな気がするが、それにしても都心から1時間近く離れたこの町にこれだけの商業施設があったというのは驚きである。

 

 マルイもパルコもあるような町なんて、渋谷か吉祥寺かそれくらいなものだから、もう本厚木、泣く子も黙る大繁華街だったのである。

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