「単なるベッドタウンではない」昼間人口が夜間人口を上回る町・厚木
ただ、そうした商業施設はバブル崩壊後の百貨店不況やら何やらが重なって、ほぼすべて姿を消してしまった。
例えばマルイは2017年に閉店。無印良品が入るも撤退し、いまは駅前の雑居ビルになっている。長崎屋はそれより早い2002年、イトーヨーカドーはマルイと同じ2017年に閉店。1994年開店と比較的歴史の浅いパルコも、2008年に営業を終了した。
長崎屋やヨーカドーの跡地はマンションに生まれ変わり、パルコはアミューあつぎという映画館も入った商業施設になっている。
駅前にいくつもあった商業施設が姿を消したというのは、厚木の歴史においてネガティブな出来事であることはまちがいない。ただ、それが結果的に中心部に広大な空き地をつくったということで、駅近くに大型マンションが建てられる環境につながった。
町のシンボル的な百貨店が撤退して廃れる一方の町は日本全国あちこちにある。だが、本厚木の場合は東京都心から1時間足らずという強みもあってか、近年の不動産バブルもあってか、マンションが建ち並ぶ“住みたい町”へと飛躍することになったのだ。
江戸時代には宿場町として賑わったものの、他の地域に比べて鉄道が遅れ、初めての“厚木”の駅は川向こうの海老名にできた。そういえば、厚木の名を広く知らしめたコーンパイプのマッカーサーさんが降り立った厚木飛行場、あれは厚木とはだいぶ離れた大和市・綾瀬市にある。歴史があるが故に名前ばかりが他の地域で使われてしまったのだ。
しかし、小田急線の開通も手伝って旧来の街道筋の中心地から駅前へと厚木の市街地は大きく拡大。いくつも百貨店がやってきた。
それを失ってもそのまま廃れることはなく、空き地を活かしてマンションの町へ。さらに言えば、厚木には東名高速道路のインターチェンジもあるし、工業団地もあって就業人口も多い。実は厚木、昼間人口が夜間人口を上回っていて、単なるベッドタウンではないのだ。
そうしたあらゆる要素が相まって、本厚木の駅の周りはマンションがあってミロードがあって、少し歩けば川沿いの古い町があって、渋谷や池袋といった大都会のターミナルによく似た雰囲気の町並みもある。
大都会的なもの、歴史的なもの、ベッドタウン的なもの、地方都市的なもの。本厚木駅には、そのすべてがコンパクトにまとまっているといっていい。それでいて、快速急行で新宿まで45分。そんな駅が、住みにくいわけがないのである。
写真=鼠入昌史
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