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「私はチンピラやくざだった」不良少年時代を経てKGBに入るもスパイとしてはパッとせず…なぜプーチンはそれでも“独裁者”になったのか

『独裁者プーチン』より #1

2022/03/25

source : 文春新書

genre : ニュース, 国際, 政治

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スパイとしては二流だった?

 75年にKGBに入省したプーチンは最初の数年はレニングラードKGB支部の国内防諜部門で働いた。70年代のKGBは、アンドロポフ議長の下、反体制活動家への厳しい弾圧を行った。特に欧米思想が流入していたレニングラードのKGB支部は反体制派への過酷な摘発で知られたが、この間の活動は公表していない。

 その後、モスクワの本部で対外情報活動を担当する第一総局に移り、85年から90年まで旧東独のドレスデンのKGB支部にナンバー2として駐在。西側ではなく社会主義同盟国、しかも地方都市であり、KGBスパイとしては二流ポストだった。

©JMPA

「東ドイツでは、通常の諜報活動をしていた。情報源を雇い、情報を収集し、分析してそれをモスクワに送る仕事だ。私は政治団体に関する情報、政党やその指導者の傾向を探った。それが任務の大部分だった。決まりきった仕事だ」

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 ドイツの報道では、「プーチンはドレスデンで大した仕事をしていない。東独に留学する途上国の学生を西独でスパイに仕立てる任務などを負っていたが、2人しか見つけられなかった」(ツィツェロ誌)。

 ロイター通信(01年2月27日)が報じた旧東独情報機関シュタージの機密文書によれば、シュタージは87年、KGBに対し、ドレスデンの東独共産党ゲストハウスの近くに住む男をエージェントにリクルートし、訪問客を監視させるよう要請した。

 KGBは「V・V・プーチン同志が任務に当たる」と回答した。KGBはしばらくしてシュタージに報告している。「任務は遂行できなかった」と。プーチンはしくじったようだ。

 プーチンはドレスデンでベルリンの壁崩壊に遭遇している。

『第一人者』によれば、ドレスデンでも市民が決起し、東独情報機関などを破壊、近くのKGB支部に乱入した。

 プーチンは群集とやりあった後、駐留ソ連軍に電話し、出動を要請した。しかし、「『モスクワは何も言ってこない』という返事で、私はソ連も長くないと感じた」。

 ドイツ統一を目の当たりにした後、KGB本部での仕事を打診されたが、キャリアを変えたいと思って断り、レニングラードに戻った。