ウクライナへの全面侵攻を続ける、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領。泣く子も黙る旧ソ連国家保安委員会(KGB)の中堅将校だった彼は、歴史の流れに逆行する反動政治家と位置付けられる。
ここでは、ジャーナリストの名越健郎氏がプーチンの実像を記した『独裁者プーチン』(文春新書)から一部を抜粋し、プーチンの“金銭問題”について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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別荘に出資した7人組
一連の報道や「腐敗白書」(編集部注:2011年夏にネット上で公開されたプーチンとその周辺の汚職・腐敗を調査した報告書)から、プーチン腐敗疑惑に迫ってみよう。
プーチンはサプチャク・ペテルブルク市長が再選選挙で敗れた96年、副市長の座を追われ、失業した。クレムリンに転職するまでの短期間、親しい仲間7人と共同出資し、不動産協同組合「オーゼロ(湖)」を設立。ペテルブルク郊外の湖畔別荘地を購入した。この時の共同出資者7人は今日、プーチン体制下で夢物語のような成功を収めた。
共同出資者のうち、ウラジーミル・ヤクーニンは2000年のプーチン政権発足後、鉄道省次官を経て、現在はロシア鉄道社長。アンドレイ・フルセンコは副首相を経て教育科学相。その弟で共同出資者のセルゲイ・フルセンコはガスプロムの最大子会社、レントランスガス社長で、ロシアサッカー連盟会長を兼務する。
「プーチン腐敗白書」によれば、他の4人の出資者はスーパーリッチになった。ユーリー・コバルチュクはロシア銀行の最大株主で、全国テレビ網を傘下に収めるナショナル・メディア・グループの総帥。ニコライ・シャマロフはロシア銀行第三の株主で、ブイボルグ造船の共同経営者。
この2人はプーチンのKGB時代の同僚で、しがないスパイだったが、いまやロシアの11年版億万長者リストの115位と184位に名を連ねている。他の2人も貿易会社と投資会社の社長だ。
別荘に共同出資した7人組の錬金術は、ロシア銀行を舞台に周到に進められた。ソ連時代末期の90年にペテルブルクに設立されたロシア銀行は、ロシアの百大銀行にも入らない地銀だったが、04年にガスプロムの保険部門子会社ソガスを買収。06年にガスプロムの年金基金ガスフォンド、07年に金融部門子会社ガスプロム銀行などガスプロムの子会社を次々に傘下に収めた。
3社はいずれも破格の安値でロシア銀行に売却され、ロシア銀行の資産は急膨張し、優良銀行に成長した。7人組を含め、ロシア銀行の大株主はすべてプーチンのペテルブルク時代の友人という。