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 亡命したコレスニコフは2000年のプーチン政権発足後、別荘出資者の1人、シャマロフの部下としてロシア銀行で働いた。「7人は株式取得に際し、ペテルブルクの病院設備購入用に寄贈されたオフショア会社の基金を流用した」(コレスニコフ)

 ソガス、ガスフォンド、ガスプロム銀行というガスプロム系列の三子会社はいずれも業界トップ企業で、ロシア銀行より格も業績も上だった。ガスプロム内には子会社売却への抵抗があったが、業界再編の名目で強行された。サンクト派が経営権を掌握し、多くの腐敗がはびこるとされるガスプロムが、プーチン側近らによって食い物にされる構図だ。

 ペスコフ首相府報道官は「プーチン氏はロシア銀行とは一切関係がなく、取引にも全く関与していない」と関与を全面否定。ロシア銀行は、「成長は戦略とマネジメントの成功によるものだ」と反論した。

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 ロシア銀行の株主には、プーチンの名前は出てこないが、大甥のミハイル・プーチンをはじめ、親族が株主に名を連ねている。ミハイル・プーチンはソガスの副会長も務める。プーチンの従兄弟の息子で、ペテルブルクの投資会社アクトセプトのオーナーを務めるミハイル・シェロモフも株主の1人。

プーチンの柔道仲間も億万長者

 プーチンの柔道仲間も負けていない。子供のころから練習相手だったアルカジーとボリスのローテンベルグ兄弟も、パイプライン建設会社を創設し、億万長者となった。2人は長年ペテルベルクで柔道コーチを務め、98年にプーチンを名誉会長とする柔道クラブ「ヤワラ・ネバ」を設立。

 プーチン政権誕生後は飛ぶ鳥を落とす勢いで、アルカジーは地場銀行幹部を経て、弟のボリスとともに、ガスプロムからパイプライン建設子会社を破格の安値で買収し、ストロイガスモンタジを設立。ガスプロムへのパイプの最大の納入元となった。

 兄弟は11年、ガスプロムの掘削部門子会社を無競争かつ低価格で落札。別荘グループと同様、プーチンの威光を盾にガスプロムを食い物にしている。

©JMPA

 ローテンベルグ兄弟の会社は、プーチンのエネルギー戦略と連携しながら膨張した。バルト海を経由してガスをドイツに送るノルドストリーム計画も兄弟の会社が手掛け、サハリンのガスをウラジオストクに運ぶパイプライン事業も推進した。総額2100億ルーブル(約6300億円)のサハリン・ウラジオストク・パイプラインは、入札もないまま兄弟の会社に発注された。

 11年秋のウラジオストクでの完成式典には、プーチンと兄弟がそろって出席。兄弟の総資産は35億ドル以上で、ロシアの富豪ランキングにも登場した。

 この兄弟はアルコール飲料の事業にも進出し、全土で11のウオツカ生産工場を経営し、成功している。