さらにオライカーは、ロシアが両者を意図的に混同させようとしているとも主張している。仮にエスカレーション抑止が具体的な核使用戦略ではないのだとしても、現実にロシア側にはそのようなアイデアが存在し、そのための手段(低出力核弾頭搭載ミサイルなど)をロシア軍が保有している以上、実際にそのような核使用を行う可能性をNATOは常に払拭できなくなるためである。
ウィーン軍縮不拡散センターのウルリヒ・クーンも、ロシアの狙いは、核運用政策を敢えて曖昧なままにしておくことで「エスカレーション抑止」のような核使用が実際にありうるかもしれないと西側に「思わせる」ことにあるとしている(Kühn 2018)。
通常兵器によるエスカレーション抑止を図るとしたら?
それでは、核兵器以外の方法でエスカレーション抑止を図るとしたらどうだろうか。デモンストレーションや損害惹起を目的とするならば、その手段はなにも核兵器に限らず、通常弾頭型の長距離PGMでも同じ効果が得られるのではないか。
しかも、これならば通常戦力の敗北が核使用に直結せず、両者の間にもう一段階、「エスカレーションの梯子」を設けることができるではないか ―― こうした考えに基づいて、近年のロシア軍では通常兵器を用いたエスカレーション抑止戦略が盛んに議論されるようになった。前述したCNAの研究チームによると、現在のロシアにおいて主流となっているのは、こうした非核エスカレーション論であるという。
実際、現行の2014年版『ロシア連邦軍事ドクトリン』には、「軍事的な性格を有する戦略的抑止力の実施枠組みにおいて、ロシア連邦は精密誘導兵器の使用を考慮する」という一文が初めて盛り込まれた。核兵器によるエスカレーション抑止については曖昧な態度を取りつつも、非核エスカレーション抑止についてはそれがロシアの軍事政策に含まれることが非常に明確な形で宣言されたことになる。
プーチン大統領も首相時代に発表した国防政策論文の中で「非核の長距離精密誘導兵器が広範に使用されることで、グローバルな紛争を含めた決勝兵器としての地位をますます確固とするだろう」と述べており(Путин 2012)、非核エスカレーション抑止論が高いレベルでの支持を受けていることが窺われよう。
しかも、非核エスカレーション抑止論は、単なる理論ではない。2010年代を通じて巡航ミサイルなどの長距離PGMに集中的な投資を行なった結果、現在のロシア軍は米国に次ぐ巨大な通常型PGM戦力を保有するに至っているからである。
その意味では、「ツェントル2019」に続いて実施された「グロム2019」演習が非常に興味深い。軍管区大演習の後に実施される通常の戦略核部隊演習とは異なり、「グロム2019」の訓練項目には「長距離精密誘導兵器の使用のための訓練」が含まれていた。
ロシア国防省が公開した映像を見ると、「グロム2019」ではICBM、SLBM、ALCMといった古典的な戦略核兵器に加え、カリブルSLCMや9M728GLCMなど、多様な非核PGMの実弾発射訓練が実施されたことが確認できる。非核PGMの増強が、ロシアのエスカレーション抑止戦略を新たな段階に押し進めたことを如実に示して見せたのが「グロム2019」であったと言えよう。
このようにして見ると、2020年のナゴルノ・カラバフ紛争でロシアがアゼルバイジャンに限定的なミサイル攻撃を行なったのではないか、という『ニューヨーク・タイムズ』の報道(第3章を参照)は非常に意味深長に見えてくる。ロシア軍が本当にこのような攻撃を行なったのだとすると、それは場当たり的なものなどではなく、核戦略家たちの間で長年議論され、精緻化されてきたエスカレーション抑止戦略をロシアがついに実行に移したものと考えられるためだ。
ロシアの非核エスカレーション抑止戦略は現在も発展の過程にある。現在、ロシアの軍事思想家たちの関心を集めているのは、その手段として極超音速兵器を用いることだ。