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極超音速兵器とレーザー兵器

「極超音速」とは一般的にマッハ5以上の超高速領域を言い、これほどの速度を発揮できる兵器は従来、大気圏外を飛行する弾道ミサイルに限られてきた。

 だが、近年、米中露をはじめとする世界の主要国では、大気圏内でも極超音速を発揮できる兵器の開発が熱心に進められており、2018年のプーチン大統領による教書演説では2つの極超音速ミサイルが紹介された。ICBMで加速され、マッハ20以上の速度で飛行するとされる「アヴァンガルド」と、戦闘機から発射される射程2000キロ、最大速度マッハ10の「キンジャール」である。

この写真はイメージです ©iStock.com

 ただ、同じ極超音速ミサイルといっても、両者の性格はかなり異なる。アヴァンガルドの「売り」は、従来の核弾頭よりもはるかに低い高度を飛行し、地上のレーダーからは探知しにくいことと、複雑に飛行軌道を変化させることでミサイル防衛(MD)システムに迎撃されにくいこととされている。要は従来型の核弾頭をより迎撃されにくいよう改良したものであって、どちらかと言えは古典的な戦略核抑止力に関わる兵器と見ることができる。

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 一方、キンジャールも在来型の空対地ミサイルに比べて速度と機動性の高さを「売り」にしている点では同じだが、その弾頭は基本的に通常型(非核)であり、核弾頭を搭載しなくても目標を高い精度で攻撃できるとされている。在来型の防空システムを突破する能力を持ったこの種のミサイルによれば、低速の巡航ミサイルよりもはるかに高い確度で非核エスカレーション攻撃を遂行することができる、という見込みが立てられそうだ。

 また、米国は2017年と2018年にシリアに対する巡航ミサイル攻撃を行なっているが、その政治的インパクトはさておき、実際の軍事的効果はごく限られたものであった。2018年について言えば、シリア空軍のシャイラト基地は60発近いトマホークの集中攻撃を受けながら、数日後には機能を回復してしまった。

 いかに射程が長く、誘導が精密であろうと、着弾してしまえばその威力は1発の500キロ爆弾と変わらないのである。目標が堅固に掩体されていたり、分散化されている場合には、やはりその効果は大幅に減殺されよう。

 だが、超高速で落下してくる極超音速兵器ならば、滑走路に深い穴を穿つなどして目標の機能をより長期間にわたって機能不全に陥れうる。非核兵器の弱点である破壊力の弱さを、極超音速のもたらす運動エネルギーがある程度カバーするということだ。したがって、キンジャールのような極超音速兵器は、通常弾頭型であってもエスカレーション抑止の有力な手段となることが期待されるのである。

 そのような意味で、2020年12月の『軍事思想』に掲載された論文「戦略的抑止を確保するための新たな兵器の役割について」(Евсюков и Хряпин 2020)は、多くの示唆を与えるものとして多くのロシア軍事専門家の注目を集めた。

 同論文によると、敵の防空網をかい潜って目標を精密に打撃できるキンジャールは、「政治的、倫理的、その他の理由」で核兵器が使用できない状況においても使用できる有力な打撃手段であると同時に、そのデモンストレーション使用によって軍事紛争の烈度や範囲を限定する効果を見込めるという。海軍向けに開発が進められているツィルコン極超音速対艦ミサイルについても、今後、対地攻撃バージョンが開発されれば、その一翼を担うことになるはずだ。

 また、同論文は地上配備型レーザー兵器ペレスウェートも、敵の人工衛星に限定的な損害を与えることで同様の役割を果たすとしており、こうなるとエスカレーション抑止はさらに広い概念に発展しつつあることになる。

 ただ、非核「エスカレーション抑止」もまた万能ではない。前述したCNAの報告書においても指摘されているとおり、敵が戦闘の停止や参戦の見送りを決断するに足るダメージのレベルを見積もることはもとより極めて困難であり、これが(核兵器ほどの心理的衝撃をもたらさない)通常戦力によるものであるとすればその複雑性はさらに増加するためである。

 ジョンソンが指摘するように、この意味で非核手段はロシア軍においても核兵器のそれを代替し得るとはみなされておらず、両者の関係性についての議論は現在も議論が進んでいる(Johnson 2018)。

  物理空間からサイバー空間に至るまで、あるいは核兵器からレーザー兵器までのあらゆる手段を用いて敗北を回避しながら戦う ―― これが「弱い」ロシアが2020年代初頭までにたどり着いた大規模戦争戦略であると言えよう。

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小泉 悠

筑摩書房

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