三段リーグを突破する難しさ
三段リーグの厳しさはファンの方にも知られている。筆者もその厳しさを嫌というほど味わった。
去る人を見送るのは本当に辛い。今期の三段リーグでも年齢制限による退会者が出た。先輩からも関係者からも可愛がられていたが、人気や人望がある人ほど棋士になれないのがこの世界の常であり厳しさである。
筆者が三段リーグに在籍していた頃、一門には4人の弟子がいた。そのうち1人だけが三段リーグを突破できずに年齢制限で退会を余儀なくされた。彼も人気があり、師匠や教室のお客様に可愛がられていた。筆者も辛い思いをしたが、師匠の辛さは私の比ではなかったに違いない。
一門で戸辺七段がプロ入りした後、多くの少年たちが一門からプロを目指したが、三段リーグどころか初段すら厳しい状況が続いた。
奨励会に入会して三段に到達するのが10人中2~3人、棋士になるのはそのうち1人と言われている。奨励会の競争は過酷である。
一門の停滞を打破したのが岡部四段だった。
上に行ったら、あとはもう自分で強くなるしかない
東日本大震災と同年の2011年9月、小学生名人戦準優勝の実績を引っ提げて奨励会入会。師匠が山形県将棋界と縁があり、加瀬七段門下としてプロへの第一歩を踏み出した。そして一門では久しぶりの初段到達。2年後には17歳で三段に到達し、戸辺七段以来の棋士誕生に期待は高まった。
しかし、岡部四段は一門の悪い(?)伝統を受け継いで三段リーグで苦戦する。
佐藤七段は16期。筆者は12期。戸辺七段は7期。岡部四段も結果的に11期かかった。
加瀬一門の場合、加瀬七段の自宅教室に通う生徒が奨励会に入るケースが多いため、奨励会入会前や低級の頃に指導する機会は多い。ただ、ある程度まで上に行ったら、あとはもう自分で強くなるしかない。人に教わって強くなろうとする者にプロへの道は開かれない。裏を返せば、ある程度強くなった弟弟子に兄弟子がしてあげられることはあまりない。
筆者も、奨励会入会前や低級の頃は木村九段や兄弟子(佐藤七段)によく教わったが、初段が近くなってからは自分で強くなる方法を模索した。岡部四段も同様で、低級の頃は対局の前日に上京して師匠の教室に通っていたが、そこからは自分の力で実力を磨いて三段に到達した。