「妻がレイヤーなんですよ。もともとこういうイベント会場で出会ったので、全然理解はありますね。
普段の移動もこれで、両親も普通に乗せたりします。ただ、タイヤが薄くてかなりゴツゴツするので、ファミリーカーとしてもう1台あったらいいなとは思います」
ペイントの方ではなく、足回りのカスタムの方が普段遣いのネックになっているのだとか。ペイントの方は、作品のファンから「写真撮らせてください」などと声をかけられることも多いそうだ。
「17万円のミラでサーキットに……」
会場を歩いていると、軽の痛車の上に、やはり痛車ペイントの施されたカートが載せられているのが見える。
異様な光景に混乱しながらオーナーを探すと、近くで盛り上がる若い男性3人組が。話しかけた際、慌てて手に持つパンを落下させてしまった男性がオーナーだった。パンは無事だったようなので、上のカートについて聞いてみる。
「もともと、下にあるミラでサーキットを走ってたんですけど、軽自動車だと参加できる走行会が結講限られちゃうんですよね。カートならそういう心配もないし、ちょうど友達から、使わなくなったフレームをもらえて」
もともと車好きであり、工業高校から自動車専門学校に進み、免許取得からサーキット走行や車の改造を続けているという。
「これの前に1台持っていたんですけど、頭文字Dとか好きで、3ヶ月とかでガシャーンとやっちゃって。そのときに友達の軽に乗ったら『こんな速いんだ』って。すぐに17万円でミラを買って、サーキットを走ったら楽しくて。そっからどんどんハマっていった感じですね」
車種を問わずにカスタムや走りを楽しめるところに、生粋の車好きといった印象を受ける。しかし、痛車に目覚めたきっかけはあるのだろうか。
「もともと痛車は嫌いだったんですよ。でも、中学生くらいのときにTwitterで流れてきた痛車のなかにカッコいいのがあって。あとはちょうど、レースのスーパーGTで初音ミクの痛車が出てきた頃だったのもあって、『あれ、走る痛車ってカッコいいんだな』って」
やはり興味をシンプルに追い求めた結果として、今の痛車趣味があるようである。