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アテネと同じ「同率五位」

 第29回オリンピック競技大会が開催された北京は、ムッとするような熱気に包まれていた。8月という季節のせいばかりではない。人口13億の中国人の期待と高揚、そしてうんざりするほどのナショナリズムが北京に凝縮し、204カ国・地域から集まった約1万2000人の選手団を過剰に歓待していた。無理もない。北京五輪の開催は、「中国100年の夢」だったからである。 

 女子バレーのメンバーは、8月8日の開会式の前日に北京に入った。アテネ五輪では開会式に参加し、式の華やかさに選手が興奮状態に陥り、その熱が冷めないまま試合を迎えてしまった反省があった。

 第1試合はいきなり優勝候補のアメリカ。米国の監督は、ロス五輪の金メダリストで中国女子バレーの巨星・郎平である。会場を埋めた中国人大観衆から「USAコール」がわきあがる。

 セットカウント1−1で迎えた第3セット。終始リードを保っていたものの、19−18から連続7点を米国に奪われた。この連続失点がすべてだった。日本は初戦から土がついた。

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 第2試合のベネズエラ、第3試合のポーランドを下したものの、キューバと中国に敗れグループ4位で準々決勝に進出した。アテネと同じパターンである。

 予選4位で決勝ラウンドに駒を進めるのは、準々決勝で敗退を意味するに等しい。グループ4位は、もう一つのグループの1位と闘うシステムになっているからだ。日本は世界ランキング1位のブラジルと対戦。涙も出ないほどの完敗だった。結局、アテネ五輪と同じ同率五位で北京五輪を闘い終えた。

 だが竹下は、同じ結果であっても、アテネと北京では内容が違うと毅然と言った。

「アテネのときは何が何だか分からないまま試合に臨み、ただがむしゃらに闘い終えてしまった感じがしましたけど、北京では、自分たちには何が足りないのか、どうすれば世界の強豪に肩を並べることが出来るのかが、分かった大会でした。世界のトップは年々レベルが高くなっている。でも、日本の良さをていねいに時間をかけて突き詰めていけば、日本にもメダルを獲るチャンスがあることが確信できたんです」

北京五輪後、全日本女子バレーを率いる眞鍋政義監督 ©文藝春秋

 コートの外で、竹下と同じ思いを抱いている人物がいた。テレビ中継の解説席に座っていた眞鍋政義である。