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芦田均の「ウクライナ訪問記」

 ところで、上記のアシダ館員とは、戦後日本の首相となった芦田均(1887~1959)のことである。芦田は革命直前のペテルブルグの日本大使館に若き外交官補として赴任し、二月革命、十月革命を現地でつぶさに観察し、『革命前夜のロシア』(1950年)という優れた回想録を残した。この回想録を読むと、彼がまだ20代後半でありながら、ロシアの高官や貴族・財閥実業家らとつき合って情報を得たり、公爵家で令嬢がたのトランプのおつき合いをしたり、また音楽会に足繁く通ったりするなどロシア帝国滅亡直前の最後の輝きのような時代をいかに過ごし、またその優雅な時代が突然終わって激動の革命期を迎え、身の危険を感じながら緊張した日々をいかに送ったかが鮮やかに描かれている。

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 芦田によるペテルブルグの回想はとびきり面白いので詳しく紹介したいところだが、紙面の都合上それは原典を読んでいただく他ない。ここでは彼のウクライナ訪問を少し紹介したい。この旅行が公務出張か私的旅行かは同書でもはっきりとは述べられていない。おそらく両方の意味があったのであろう。まず彼のウクライナの描写である。

 汽車は露都を出てから一日二夜、今、朝露のしっとりと置いたステップの中をキーエフの方角に走っている。

 おお、ウクライナ、草長き南ロシア!
……
 チョルニゴフからオデッサに拡がるドニエプル平野が北ロシアと異った特殊の姿は著しく旅人の眼に映る。土、草、人、一つ一つに南の国らしい面影が黒土帯の雲に連る緑の波と、処々に真黒く茂ったポプラスや白楊の葉と、小ロシア人の気軽な熱情的な眼なざしに掩うべくもなく表れている。
……
 百年、二百年の昔、ゴーゴリの書いたタラス・ブーリバの当時のステップは、強烈な日の光が造化の余威を心行く許り草木の上に輝いて、平原の子の心に遠征の血を湧かしめた。丈長き草の間からコザックの黒い毛帽子の頂辺が見えつ隠れつしたのは其頃のことである。