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連載刑務官三代 坂本敏夫が向き合った昭和の受刑者たち

2022/04/17

genre : エンタメ, 社会

 翌日は1月15日成人の日(当時)の祝日で、区別対抗のマラソン大会が行われる予定であった。塀の外周が約1,600mあり、それを折り返して競い合うという大行事もまた無事に遂行された。何とも不可解な梯子事件であった。しかし、やがてその全貌は全く無関係と思われた殺人事件を端緒に明らかになっていく。

「車内の指紋がすべて拭き取られていたことから、プロの犯行であることは明らかだった」

 2週間後の1月30日明け方。大阪・西区の問屋街路上に停められた純白の高級外車サンダーバードの中で中年男性が胸をめった刺しにされて殺されているのが発見された。

 被害者は40歳の不動産会社社長Aという人物。遺体には首を絞められたあとがあり、また車には接触した痕跡があったことから、取引上の恨みで殺害されたのではないかと当時の新聞は、Aの犯罪歴が13回であったことと併記して推察している。

 司法解剖の結果、死亡推定時刻は前夜の午後8時頃。刺し傷に生体反応があったことから、死因は刺したあとに首を絞めた絞殺であること、そして大阪に10台しかないという豪華な外車の車内の指紋がすべて拭き取られていたことから、プロの犯行であることは明らかだった。

高級外車として知られたフォードのサンダーバード ©iStock.com

 殺人事件を担当する捜査一課は西署に本部を置いて、まず被害者であるAの身辺を洗った。

 昭和5年、東京荒川区生まれで母に連れられて5歳のときに大阪市西成に移住。少年期から単車泥棒などのしのぎを始め、昭和23年から37年までの間に、窃盗、暴行、恐喝などで11年6カ月を塀の中で過ごし、昭和37年12月に大阪刑務所を仮出所した。

 東大阪市内でプラチック加工業や洗車ブラシ製造業を営んでいたが長続きせず、昭和42年から約1年間で蕎麦屋を手掛けるもこれもまた決して順調ではなかった。

 ところが、昭和43年頃から、突然羽振りがよくなり、八尾市内の信用金庫に無造作にゴムバンドで紙幣を束ねた1500万円を預けたという証言が行員から出て来た。

 発見されたサンダーバードを乗り回し、愛人2人に月30万円をそれぞれ手渡し、ミナミや新地で毎晩のように豪遊していたことが分かった。なぜいきなり、こんなにカネ回りが良くなったのか? 不審に思った捜査本部は、カネの出どころをポイントに聞き込みや捜索を続けた。

1枚の用紙からすべての謎が解ける

 事件から数週間後、Aの愛人宅から1枚の用紙が出て来たことですべての謎が解けた。

 それは試験問題だった。関西の国公立大学に照会したところ、昭和45年の大阪大学の医学部の入学試験だったことが判明した。Aは数年に渡り、難関医学部の受験生の親たちに高額で入試に出る問題を売りさばいたことで巨万の富を築いていたのだ。

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