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「東大・京大卒の黒服を積極採用して…売上高は32億円」ススキノ最大級の“ニュークラ”CEOが実践する常識はずれの“成功モデル”

『日本水商売協会 ──コロナ禍の「夜の街」を支えて』より #2

2022/04/22
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進学校に通っていた波戸崎さんが水商売と出会ったきっかけ

 波戸崎さんは愛知県の春日井市出身。ご両親ともに小学校の先生、叔母様が大学の教授、母方の祖父は岐阜の地主と、非常に堅い、真面目な一家の中で育ったという。高校は地元で一番の進学校に通っていたそうだが、地元の大学に進学して中退した。

 水商売と出会ったのは大学1年生、18歳のとき。「キャバクラ」という言葉すら知らず、バーだと思って働き始めたのが、実は愛知県で4店舗を展開するキャバクラチェーンだった。元々水商売のことも知らないし、知らないからこそ偏見もなかった。ただ、第一印象で「効率的なビジネスモデルだな」と思ったのだそうだ。

 そのときの店長は計算が苦手で、売上の計算を代わりにやってあげたら褒められた。「正直な話、店長よりも仕事ができたので、自ずと役割が増えていった」のだそうだ。それだけいい働きをしているバイトを、店が放っておくわけがない。「社員にならないか」と誘われた。

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 子どもの頃から起業に憧れていた。このままいくと、学校の先生になるというルートしかない。それは嫌だと思ったという。

 愛知県におけるエリートの将来は、トヨタ自動車に入るか、公務員になるか。波戸崎さんは、それこそが人が幸せになる道だ、と教えられるような独特の文化の中で育った。自分自身はそれにあえて乗らない、ブルーオーシャン戦略を取ることを志した。

 起業する。しかも、キャバクラを開業する。両親や親戚に、真面目で堅い職業に就いている人が多い波戸崎さんにとっては、清水の舞台から飛び降りるような一大決心だっただろう。当然、周囲からは反対された。大学を中退するときには、母親がストレスから倒れて入院。親族一同が説得に来たという。それでも、波戸崎さんは自分の信念を曲げなかった。