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事故で血まみれになっても監督から「すぐ走りに行け!」と言われて…女性唯一のドリフトD1GP選手・下田紗弥加が明かす“競技の恐怖”

事故で血まみれになっても監督から「すぐ走りに行け!」と言われて…女性唯一のドリフトD1GP選手・下田紗弥加が明かす“競技の恐怖”

ドリフト女子・下田紗弥加インタビュー #1

2022/04/22
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下田 しかも、その当時は高校の奨学金を返済していたので、働いていてもお金がほとんど残らなくて。周りの友達は大学に通っていて、すごい楽しそうなのに、私は働いていて……そのうえ、大学生よりお金も持ってないっていう。なんでしょう。屈辱感というか、「自分は色々やりたいことを諦めているんだな」という意識を持っていましたね。

過労で倒れて救急搬送

――ご自身でおっしゃっていた「腑抜け」のような精神状態からは、どのように立ち直ったのでしょう?

下田 ありがちな話かもしれませんが、自分がそうやって落ち込んでいるとき、色んなエンターテイメントの世界に救われることが多かったんです。

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 それで、誰かを笑わせたり感動させたりする仕事ってすごいな、自分もそういう仕事がしたいなと思うようになって、大手テーマパークのスタッフに転職したんですよ。

挫折を乗り越え、エンターテイメントの世界を志すように

――すごい思い切りですね。好きなことを仕事にしようと実際に行動できる人は少数派なように感じます。

下田 興味があるものはとにかく、どんどんやっていこうと思っていて。やっぱり最初は楽しかったですね。でも少し経つと、「私自身の力で何かを成し遂げたい」という気持ちが強くなりはじめていました。

――とはいえ、ずっと打ち込んできたバレーボールは身体の問題でできなくなっていたわけですよね。目標はすぐに見つかりましたか?

下田 その時は具体的な何かっていうのはありませんでした。ただ、何かを極めるための時間を考えたら、自分はもう人生の分岐点にいるんだっていう焦りがあったというか。石の上にも三年じゃないですけど、どんな道であれ、極めるまでには膨大な努力、時間が必要じゃないですか。

 そこで、まず、お金を貯めようとしたんです。バレーボールは怪我で諦めたかたちですが、大学への進学などは、お金がないことを理由に諦めたわけですし、これまで、そうした理由で何かを諦めることが多い人生だったので、今度は、お金を言い訳にできない状態に自分を追い込もうと。

 テーマパークの仕事以外に、スポーツジムのインストラクターもやっていたんですが、それに加えて派遣の仕事も始めて。過労で倒れて救急車で運ばれたこともありましたね。昼夜問わず働き詰めでしたけど、不思議と辛いとは思わなかったです。バレーボールの夢を諦めたあとの腑抜け生活が辛すぎたから、フル稼働している方が逆に楽、とでも言いましょうか。

 そんな生活を5年くらい続けるうちにある程度お金が貯まって。そこであらためて「お金を気にしなくていい状態にはなった。本当のところ自分は何がやりたいんだろう」って考えてみたんです。

 そのとき、ずっと車が好きだったこともあったからか、「私レーサーになりたかったんだ」って気づいたというか。モータースポーツはお金がかかるから、それまで選択肢として意識していなかったんですけど、実は見て見ぬフリをしていたんじゃないかって思うようになって。